私の街の石造物

柳森神社(神田須田町)の「力石群」と「富士講関係石碑群」

2020.12.21

私の街の石造物

株式会社石文社

 石文社・石文化研究所事務所から5分ほど歩いたところにある柳森神社には、「力石群」があります(千代田区指定有形民俗文化財)。

 「力石」とは、一定重量の大小の円形または楕円形の石で、若者達が力試しに用いたと記録されています。古来、わが国民間信仰では石に係わる信仰は多く、また「力石」における伝承の一つとして、「道切」説もありますが、「巨人伝説の大草鞋(おおわらじ)」同様と考えられています。
 しかしこれらは、石神等に関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、呪い等であったようです(疫病は道を伝って来ると信じられていた)。この境内にある「力石」は、大正年間(1912~1926)、当時この道の力士として有名であった神田川徳蔵こと飯田徳三とその一派が使っていた力石の一部と伝えられています(千代田区教育員会)。

 柳森神社には「富士講関係石碑群」もあります(千代田区指定有形民俗文化財)。

 5つの石碑からなり、柳森神社周辺に存在した富士講のなごりを今日に伝える石碑群です。富士講とは、富士山信仰をもとに成立した民間信仰の一種で、江戸時代に町民や農民の間で流行しました(千代田区教育委員会)。

 柳森神社は室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社です。境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されています。

◎柳森神社
東京都千代田区神田須田町2-25-1
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5543/