特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

石の景色を生かし、日本の石を使いたい―建築家 榊田倫之

2020.11.11

――安山岩や凝灰岩などの軟石をよく使われていますが、花崗岩についてはどのように思われますか?

榊田 日本では皆さん、花崗岩を「みかげ石」と呼んでいますが、なんといいますか、その呼び方が好きではありません。どうしてそうなったかというと、やはり西日本で支持を得た「本御影石」(ほんみかげいし、兵庫県産)の影響ですよね。

関東には、たとえば「稲田石」(いなだいし、茨城県産)がありますが、この石はとても重宝されていて、新素材研究所が得意とする数寄屋建築においても、「みかげ石」といって「稲田石」を勧められることがあります。「稲田石」にも時を経た石肌の景色など、本来の良さがあるわけなのに、それを「みかげ石」と称して全部を均一化することに違和感を感じてしまいます。

また、これは閃緑岩になりますが、西日本では京都の「本鞍馬石」(ほんくらまいし、京都・鞍馬産)があり、代用の石として「丹波鞍馬石」(たんばくらまいし、京都・亀岡産)が主に流通しています。それが東に来ると、鞍馬石への憧れなのか、「甲州鞍馬石」(こうしゅうくらまいし、山梨県産)が出てきます。それで「甲州鞍馬石」と「本鞍馬石」を比べると、まったく違うものなんですよね。全然違うのに、関東では地元で「甲州鞍馬石」と名付け、そして「これが鞍馬石だ」といってしまう。

それと同じように、花崗岩もその土地で採れるものを「本御影石」の代用品のように「みかげ石」という。単体としては、どれも良い石と思いますが、その呼び名が私は正直好きではないんです(笑)。

でも、花崗岩そのものは建材として一番適している石だと思います。ゼネコンもすぐに承諾しますし、安山岩はギリギリOKで、凝灰岩になると難しいですね。個体差があまりなく均質であるというのも気になるところですが、外国のように巨大な大板の花崗岩で思いっきりできるのなら、それは面白いでしょうし、魅力的でもあります。

でも、日本人のスケール感では「石ってこんな感じ」というサイズ感も決まっていて、それ以上にはなかなかならないですね。打ち合わせ段階で、私が中国やアメリカで見て来たような石の使い方を真剣に話しても、なんとなく〝非常識なヤツ〟という立ち位置になってしまうようです(笑)。

江之浦測候所の景色
奥に100メートルギャラリーの大谷石の壁



非合理から生まれる魅力

――建築家の仕事を見ていて感じるのは、とことん使い手の立場になって設計されたりしますよね。でも江之浦測候所を見ても、新素材研究所が敷石を据えると、ゴツゴツした面をそのまま使用して歩きづらかったり。あえて粗野な石を使うところが面白いなと思っています。
榊田 江之浦測候所の仕事では、設計者として自信のついたところがかなりあります。

現代における建築は合理性のなかでつくられていて、建築の設計・施工の手法でも、その合理性の流れのなかで、排除されていくもの、失われていくものが相当にあると思っています。でも、江之浦測候所は非合理からつくっているのです。普通それはとても時間(手間やコスト)のかかる仕事になりますが、施主である杉本博司が「それでもいい」といっているからいい(笑)。だから「合理性だけでは施主は満足できない」と思えるようになったのです。

たとえば何か大きな石を据えるのも、クレーンが使えるうちに据えればいいのに、もう建物などがある程度出来上がっていてクレーンを使えず、「では、三又を使おう」となる。現代の合理性で考えると、「三又では一日かけても少ししか動かせないのに、いまさらそんなところに石を入れるのか」となるわけです(笑)。

でもそれを非合理と知りながらもやることで、そこに人の手の跡が見えたり、人海戦術でしかできない表現にもなり、それがその空間に作用する。そういう非合理から生まれるカタチや雰囲気が魅力にもなるのです。

現代建築が目指しているものというのは、要するに「誰がつくっても同じ」というものなんです。でも、その対極的な仕事に江之浦測候所で関われたのは、設計者としてとても大きな収穫になっています。

――特に「大谷石」による100メートルギャラリーはその象徴にも思えますね。
榊田 そうですね。あんな仕事、私の今後の設計者人生で、もう二度と関われないのではないかと思っています。

普通の現代建築を知っている人間からすると、「なぜ笠木がないのか」「雨垂れしたらすぐに汚れる」「どうして(大谷石の)粗面をそのままランダムに積むのか」など、そういう非合理な設計が随所にあります。でも私たちを含め、見学に訪れる皆さんも、何となくその良さをわかっていて、それが面白いと思いますね。

そうやって、いまの合理性の流れから少し遠ざかることで、設計者としての幅を広げることができたのではないかと思っています。

それは石の産地、丁場を見に行くこともたぶん同じことで、それこそ合理的に考えれば、石の見本やカタログを見て注文すればいいわけです。でも、そこからどれだけ離れることができるか。それによって得られるものがとても多いと実感しています。



写真3点:江之浦測候所の夏至光遥拝100メートルギャラリーと、その工事風景
大量の大谷石を粗面のまま壁として積んだ100メートルギャラリーについて榊田氏は「非合理な設計が随所にあるが、現代建築における合理性の流れから少し遠ざかることで設計者としての幅が広がった。今後の設計者人生のなかで、もう二度と関われない仕事ではないかと思う」と語る



施主の感性をボトムアップさせる啓蒙が
私たちの責務ではないか

――最後にあえてお聞きします。なぜ新素材研究所は日本の石を使えるのですか? やっぱり予算がいいのでしょうか?(笑)
榊田 それはどうでしょう(笑)。

確かにいえるのは、お施主様も日本の石の景色を良しとする感性をお持ちの方が多いということでしょうね。たとえば家を頼まれても、3軒目、4軒目というお施主様が多いのですが、そういう方々はいままでケミカルな素材で家を建てて体調を崩されたりして、天然素材を使った家を終の棲家として建てたいとお考えです。それもやはり、現代の合理性によって失われたものを直感的に察していて、非合理でも天然の石や木を使う私たちの建築に共感していただいているのだと思います。

それとこれは「石の景色」という表現にも通じるもので「わび・さびの世界」ともいえますが、“枯れた美”“枯れゆく美”を共感できる方が、お施主様にはとても多いことも挙げられます。たとえば木が割れたとしても、「木だから仕方ない」といってクレームになりません。それどころか、そこまで理解していただいているので、その割れた木でさえも愛(め)でるために、漆刻苧(うるしこくそう)を施して、さらに良い景色になるよう手をかけるという提案にもつながります。「割れたから取り換えろ」といわれては、もうそこで終わってしまいますからね。

そういう施主側の感覚・感性がボトムアップされていくと、日本の建築のあり方や、そのなかでの石の使い方も全然違ってくると感じています。その啓蒙こそが、私たち建築家、設計者の責務であると心から思っています。

――今回は貴重なお話をいただき、また一年間の企画ご協力、誠にありがとうございました。


和心の内玄関と水鉢の景色
(清春芸術村ゲストハウス)
山梨県北杜市、2019年




All photos: (c) Hiroshi Sugimoto / Courtesy of New Material Research Laboratory
出典:「月刊石材」2019年12月号
聞き手:「月刊石材」編集部 安田 寛




◇小田原文化財団 江之浦測候所
現代美術作家・杉本博司氏の構想により、人類とアートの起源に立ち返り、国内外への文化芸術の発信地として2017年10月に開館した。もとはみかん畑の広大な敷地にギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などの各種施設をつくる。
根府川石、小松石、滝根石、大谷石、十和田石などをふんだんに使用して設計デザインする建築・庭園空間は必見。また杉本博司氏収集による縄文時代・古墳時代・飛鳥時代・白鳳時代・天平時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・江戸時代など、文化財的価値の高い歴史的な石造美術品も多数配置するほか、足もとには京都市電の軌道敷石を敷設する。
石以外にも「明月門」(室町時代)、「鉄宝塔」(鎌倉時代)、「鉄灯籠」(桃山時代)、杉本氏の作品なども見どころ。春分・夏至・秋分・冬至の日の出も設計に組み込んでいる。
*見学可能(完全事前予約制、下記の公式ウェブサイトより)

構想:杉本博司
基本設計・デザイン監修:株式会社新素材研究所
実施設計・監理:株式会社榊田倫之建築設計事務所
施工:鹿島建設株式会社
石工事:株式会社小林石材工業
所在地:神奈川県小田原市江之浦362番地1

休館日:火・水曜日、年末年始および臨時休館日
入館料:3,000円(税別)

公式ウェブサイト:www.odawara-af.com(見学の事前予約申込先)


株式会社新素材研究所
URL:https://shinsoken.jp