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元三大師(良源上人)の御廟

 天台宗中興の祖といわれる良源上人(912年~985年)のお墓が比叡山・横川にあります。良源上人は死後、慈恵大師と諡(おくりな)され、また元三大師・角大師などとも呼ばれます。「おみくじ」を発案したことでも有名です。

 良源上人は遺言である『慈恵大僧正御遺告』(じえいだいそうじょうごゆいこく。「遺告」=「ゆいごう」とも読む)を残しました。弟子たちに「自分の死後、埋葬地に石の卒塔婆を建てるように」と遺言しており、文書に残るものとしては、最初の「石塔婆」建立の記録だと思われます。

 「石卒都婆、生前つくりはこばんと欲す。もしいまだ運ばざるまえに命おわらば、しばらく仮卒都婆を立て、その下を掘りあく除くこと三四尺ばかり、骨を穴底において上に土を満たすべし。四十九日のうちに石卒都婆をつくりて、立てかゆべし。これ遺弟らときどき来礼の標示なり。卒都婆中に、随求、大仏頂、尊勝、光明、五字、阿弥陀など、真言を安置す。生前、書きもうけんと欲す」(『群書類従』釈家部・巻27)

 =「(私は)生前に石卒塔婆をつくる段取りをしておきたい。もしそれが私の死に間に合わないときは、しばらくは仮の卒塔婆(木製?)をたて、その下を三四尺ほど掘り下げて墓穴をつくり、穴の底に骨を置いて土で埋めよ。そして四十九日のうちには石卒塔婆をつくって立て替えよ。この石卒塔婆は弟子のお前たちが時どき来て礼拝(お参り)するための目印であるから、卒塔婆の中には、『随求陀羅尼』・『大仏頂陀羅尼』・『尊勝陀羅尼』・『光明真言』・『五字真言』・『阿弥陀陀羅尼』などの真言を安置せよ。生きているうちにそれらを書きたい」


 この『御遺告』で重要なのは、良源上人は自分の死後、弟子たちの「墓参」を念頭におき、また墓参することによって自分と弟子たちの「罪過」が消滅するように、さまざまな真言を「石卒塔婆」に納めさせたことです。

 おそらくこの頃から、仏教的な「建墓」「墓参」「追善供養」は、供養する人・供養される人(=死者)がともに「滅罪」され、ひいては「極楽往生」思想へとつながる兆候が見え始めていたことになります。

参考:小畠宏允「第3編 仏教とお墓 第2部 日本の主な仏教宗派とお墓」『お墓の教科書 改訂2020年版』(一般社団法人日本石材産業協会)