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彫刻探訪《TO THE SKY》 澄川喜一氏アート作品in山口周南|あの夜、追いかけた巨石は今
コロナ禍2度目の冬が終わり3月、春のはじまりです。この冬、故郷山口への帰省中に、一つの石では日本最大級(高さ16.5m、重さ約100t)の屋外彫刻『TO THE SKY』を鑑賞してきました。
これは、彫刻家澄川喜一氏によって、石の産地・黒髪島で採掘・制作された徳山みかげ石による作品です。
以前、日中に訪ねたことがありますが、今回は夜明け直前の鑑賞。訪れる時間や季節によって全く違う表情を見せてくれるのが、ギャラリーや美術館展示とは違う屋外彫刻鑑賞の楽しみのひとつです。
車のフロントガラスは霜で凍り付く寒さでしたが、石の悠久感や日の出による演出は冬の寒空の下ならではの体験でした。
薄暗い冬空の下で石の巨大彫刻が先端から徐々に陽の光を浴びていくと、見る角度によっては空に向かって光る矢印となり、その様子はまさに『TO THE SKY』。
写真を見ていると昔の記憶と今の自分の考えが合わさって新しい発見が生まれるのも、風景の一部として立つ屋外彫刻ならではかもしれません。では、夜明けから朝日に照らされるまでの『TO THE SKY』をご覧ください。
方向によって見え方が変える彫刻
澄川喜一氏の『TO THE SKY』はデザイン監修をされた東京スカイツリーの下にも同名の作品があるように、全国に兄弟(?)作品があります。
その中でも最大級の大きさとされる周南市の『TO THE SKY』は周南市緑地公園内の総合スポーツセンターの横に立てられています。入口の道路から見上げると夜明け前の薄暮の中に高さ16.5mの尖塔が立っている様子が薄明るく見えます。
総合スポーツセンターを背景に。一つの柱が途中から双頭に分かれ、少しずらした位置で立ち上がっています。
澄川喜一氏のライフワークとされている「反り」と「むくり」が取入れられています。
見る位置によっては同じ彫刻と思えないほどその姿を変えて見せてくれます。
背景の右側に写る山は太華山。徳山湾に突き出た半島の山で、市内の小学校遠足先の定番の山でした。
確か、私の母校の校歌の中でも歌われていた記憶があります。
あの夜、巨石を追いかけた思い出
建てられた1992年当時、私は高校生。
「日本最大の彫刻が来る」というニュースが地元で話題になったことを記憶しています。
当時高校生だった私も空前絶後の出来事にドキドキ、ワクワク。
私がこの話題に惹かれたポイントは二つ。
一つは当時アートに興味が出てきた当時、100tもある彫刻作品が存在することの驚き、もう一つはそれをどうやって運ぶのだろうという興味でした。
計画を伝える地元紙の記事によると、交通規制をしてトレーラーによる深夜の搬送になること。
道路下の水道管等の埋設配管を守るために、埋設箇所を通過する際は事前に道路上に鉄板を敷いてからトレーラーを通すこと、難関は途中に橋を渡らなくてはいけないことなどが載っていました。
港からここまで約5kmの道のり。
海は見えませんが、海岸沿いに並ぶ煙突や重化学系の工場を臨むロケーションが、この町ならではの景色です。
私が見に行った深夜の搬送現場は、彫刻を積んだトレーラーと、その前後を鉄板を積んだトラック、鉄板を道路に敷くためのフォークリフトが何台も連なる長い車列でした。
進む速さはほとんど徒歩に近く、道路下の配管状態を示す図面を持った現場監督者とおぼしき方が、ずっと歩いて指示しておられた記憶があります。
そして、トレーラーが橋を渡る難関は、橋に異常をきたさないか監視の人を川に配置、作業の方がかたずを飲んで見守る、張りつめた中で渡っていたことを思い出します。
安全のため、見物人(と言っても私と父のみ)には橋の上には乗らないようにと言われ、100tという重量物を運ぶ緊張感が伝わってきました。
日の光がともしびに
さて、日の出の時間から30分経ったでしょうか、東側の森から太陽が少しずつ顔を出し始めました。
彫刻の先端に、小さな火が灯ったように見えます。
背景の煙突群とコラボしているような風景を作り出しています。
日が当たる部分が次第に広がってきました。その形状は矢印のようにも、ロウソクの炎のようにも見えます。
この彫刻の搬送に並走した夜から十数年後、上京していた私は当時勤めていたデザイン事務所から、石材業の会社のクリエィティブ部門に転職。
高校生にしてはかなりマニアックな体験が思いがけず仕事に結びついたことに、何かの縁を感じたものです。
彫刻の太さは1.8m×1.8m、重さは約100tということですが、採掘された時は削られていないので、もっと重いはずです。
石を運ぶだけでなく、その大きさの石を採掘すること、加工することのすごさは、石材業界を経験して知りました。
場所の記憶
周南市(旧徳山市)は、天然の良港だったことから、戦前は海軍の燃料廠が置かれていました。
沖縄に向かう途中で米軍機に沈められた戦艦大和の最終補給地でもありました。
そして、この緑地公園は燃料廠の石油タンクがあった場所だそうです。
こんな歴史を知ると、地元で採れた石による屋外彫刻作品が、より深みを持って見えます。
そんなことを思いながら、じっくりと彫刻を鑑賞してきました。
終わりに近づくと、空には巻層雲が良い感じに出てきました。
太陽もかなり出てきました。
夜明けの屋外彫刻シーンはそろそろ終わりです。
朝日による思いがけない演出に出会えて幸運な鑑賞体験となりました。