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高野山石造美術研修【3】奥の院 一の橋から豊臣秀頼・淀君供養塔

2023.12.27

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研修のハイライト、高野山奥の院の拝観です。
一の橋から奥の院に向かって石造物を拝観していきましょう。

※掲載の写真は通常非公開の五輪塔等を含めて、ご帯同頂いた木下浩良先生(清浄心院 高野山 文化歴史研究所所長)より写真掲載についての承諾を頂いております。

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1ページ)高野山石造美術研修【山麓】慈尊院と丹生都比売神社の石造群

2ページ)高野山石造美術研修【奥の院周辺】西南院の五輪塔群・源氏三代五輪塔・明遍墓と伝わる五輪塔群

4ページ)高野山石造美術研修【奥の院2】蜂須賀家墓所から覚鑁の供養塔

5ページ)高野山石造美術研修【奥の院3】高野山最大お江のお墓から現代の企業墓

豊臣秀頼・淀君の供養塔

 

一の橋付近 一の橋前の清浄心院

紅葉と山の鳥居の赤が綺麗な晩秋。明治時代以前は当たり前に見られたであろう神仏習合の風景です。

 

十七町の町石

一の橋からお墓を巡っていきます。

 

司馬遼太郎の碑

 

鎌倉殿の十三人にも登場した曾我兄弟の供養塔。昨日拝観した西室院の源氏三代の五輪塔と並んで、鎌倉時代初頭における五輪塔草創期の形態が見られるそうです。

 

土に埋まっていく小さな五輪塔や石塔、お地蔵様。幾多もの供養の形跡があちこちに見られます。

 

二十町の町石の足元にも参拝客が置いていったと思われる五輪塔。高野山で大切な人を供養したいという人々の想いを、そこ、ここに見ることができます。

 

融通念仏宗の開祖の法明上人墓所

 

薩摩・島津家墓所

 

山口毛利家墓所

 

岡山津山森家墓所

 

参道に並ぶ五輪塔の列

 日本史の教科書に載っていそうな家のお墓もあれば、その隣に「○○商店街有志の墓所」「○○協同組合の墓」等、地域、コミュニティのお墓があったりと、今昔、身分、老若男女問わず、ありとあらゆる家族、人、グループ、宗派のお墓が並びます。景教(=キリスト教)の方の墓まであるとか。

 

形状も五輪塔以外に様々なものが並んでいて、参加者の間で話題が尽きません。

 

紀州徳川家七代宗将墓所

 

 鳥居の上に積まれた小石。西日本の神社に見られる願掛けの跡ですが、ここ高野山はその積まれた数が圧倒的です。

 

緩やかにアップダウンを繰り返す参道

 

道の整備工事の際などに出土した、膨大な数の小さな石塔や五輪塔。そうした石塔は木の根元に並べ、供養を続けてもらっているとのことです。高野山全体が石塔・五輪塔の山と言っても過言ではないかもしれません。

 

上杉謙信の墓は建屋の中に納まっていました。

 

その二つ隣に立つのが(上杉謙信廟の左隣は出羽米澤上杉家供養塔・直江兼続の妻ゆかりの石造もある ※2024/2/1ブログをお読み頂いた方よりご指摘を頂き修正しました)

豊臣秀頼・淀君を供養する五輪塔

元は、このように欠損していたものが修復されました。

先日、最終回となったNHK大河ドラマ「どうする家康」。淀君の最後のセリフに、ゾクッとさせられましたが この供養塔に名前が刻まれている僧侶は、元々家康と繋がりがあったそうで、この石塔も、家康の意向を取次いで建立されたのではないかと木下先生は推測されているそうです。

真実はさておき、「どうする家康」最終回で、燃える大阪城に向かって合掌する家康のシーンが重なります。

 

時間が進むにつれて奥の院にも日差しが入ってきました。

高野山石造美術研修【奥の院2】蜂須賀家墓所から覚鑁の供養塔へ