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環状列石とは何か?―岩手県立博物館 学芸第三課長 濱田 宏

2021.07.24

 

――環状列石は、なぜ円形なのでしょうか?

濱田 縄文人が石を持って来て並べた結果が円形だったのか、設計図があってのことなのかはわかりません。

――西平内Ⅰ遺跡の環状列石は何世代にもわたってつくられたものなのでしょうか?

濱田 土器の型式を見ると、長期間にわたっているわけではないので、限られた期間でつくられたと思います。

――西平内Ⅰ遺跡では配石墓が60ヵ所余り発掘されたということですが、環状列石の横にありました。

濱田 環状列石を目印に配石墓がつくられた可能性があり、徐々に増えていったのではないか、と考えています。人骨が出たわけではありませんので、報告書では、「集石」としました。

西平内Ⅰ遺跡の配石墓群全景(南東から)。
出典:『西平内Ⅰ遺跡発掘調査報告書』


――環状列石や配石墓に、なぜ石が使われたのでしょうか?

濱田 なぜでしょうね(笑)。

 発掘調査の結果、800個ぐらいの石が使われていました。石質鑑定をしたところ、20種類ほどの石が使われており、大体が花崗岩です。大きい石は1.5メートルくらいで、調査前から地表に出ていた石はなく、ただ表土は薄かったので容易に発掘できました。

 遺跡は雑木林のなかにあり、過去に畑にもなっていないようなので、石が動いた形跡はほとんどありません。配石墓は少し土を掘りくぼめて、石がギュッと入っている感じで、石が立っていたという感じではありません。1つの配石墓に、石が20個前後、角礫だけではなく円礫が1割から2割混ざっていました。

 石は遺跡から20メートル下にある渋谷川から運んだと思われます。海までも2キロしかないので、その間にある石を使い、標高差はありますが、石の調達は難しくなかったと思います。

 この遺跡は、黄褐色の土と黒色の土が入れられていました。表土を取り除いたら、まず黄褐色の土が出てきて、その土を取り除いたら、環状列石の一部が出てきました。

 つまり、黄褐色の土で環状列石を人為的に埋めており、その理由や意味が何かあるのだと思います。黄褐色の土の年代を測定すると、一番古くて縄文時代晩期ですので、推測ですが、その時期に環状列石の役割を終えさせた、あるいはこれで終わりにしよう、などと考えたのではないでしょうか?

 環状列石が先なのか、配石墓が先なのか、同時なのかわかりませんが、遺跡から出土した土器を見る限り、年代的な差はありませんので、環状列石が先につくられて、祭祀などが行なわれていたと仮定するならば、そのような推測が可能だと思っています。

――当時の住居はどこにあったのでしょうか?

濱田 発掘現場からは、環状列石をつくった人たちの住居ではなく、それよりも古い時代の竪穴住居しか発掘されていません。ですから、環状列石をつくった人たちが、どこに住んでいたのかはわかりませんが、小さい集落がどこかに幾つもあって、「そこから集まってきたのではないか」と考えています。小規模の集落がたくさんできたので、「結束を強めるために環状列石をつくった」といったことも考えられます。

 この遺跡だけを見るのではなく、周辺の集落遺跡をあたっていけば、環状列石と集落間のだいたいの距離などもわかるかもしれません。ただ、なかなか大規模に発掘することはできませんが(笑)。

――石刀なども出土したようですが、やはり祭祀用具でしょうか?

濱田 そうですね。実用品ではなく、祭祀の道具だと思います。見つかった場所は環状列石の外側で、内側はあまり発掘していないこともありますが、「環状列石の内側は遺物が少ない」というのは、どの遺跡でも共通しているのではないかと思います。

 この遺跡では、石斧とその未製品、製作工具であるハンマーが数多く見つかっています。剥離・整形、敲打、研磨という製作工程それぞれに属する段階のものが見られますので、石器の製作工房が存在した可能性も高いと思っています。ただ、発掘された竪穴住居は環状列石以前のものですから、石器製作はその時代のことだと思われます。

――同じ岩手県内で、配石遺構のある御所野遺跡との共通点は何かありますか?

濱田 御所野遺跡は縄文中期の終わりまでと、西平内Ⅰ遺跡より少し古い時代の遺跡であり、「御所野遺跡の配石遺構がベースとなって、環状列石に発展しているのではないか」とも考えられています。

御所野遺跡の配石遺構と掘立柱建物。
出典:JOMON ARCHIVES(一戸町教育委員会撮影)


――環状列石はイギリスにもあると思いますが、何か共通点はありますか?

濱田 「環状列石をつくろう」と思ったきっかけですね。それは世界共通の意識で、気候変動であったり、大地震のような天変地異が起こって、「環状列石ができた暁には落ちつく」などと考えたのではと私は思っています。

 一方で、「気持ちが上向きだからこそ、環状列石をつくろうという意欲が沸いた」といった考え方もあり、きっかけは一様ではなく、ただ「何かがあってつくった」ということはいえるでしょう。

 そう考えると、環状列石の石の意味は、「朽ちていては意味がない。残すために」ということになるのだと思います。

――本日はお忙しいところ、誠にありがとうございました。

(聞き手=中江庸)

 

◎岩手県立博物館
住所=岩手県盛岡市上田松屋敷34
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