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【祈りの石巡り】石清水八幡宮五輪塔(航海五輪塔・京都府八幡市)

2024.11.17

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ちょうど1年前。高野山石造美術研修に参加して以来、日本の歴史の中でお墓の祖と言える五輪塔についてもっと知りたいと思うようになりました。

仕事やプライベートで訪れる地でグーグルマップに「五輪塔」と打ち込み、電車やバスを乗り継いで訪ねると、石造美術が伝える歴史の重さを感じます。

例えば、目的の五輪塔があるとされる寺院を目指していくと、境内にあるのかと思いきや、近隣の墓地の中や、草むらのような広場に無造作に立っていたりすることも多いのです。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔京都神應寺そばの広場に立つ石清水八幡宮航海五輪塔

「○○寺五輪塔」と名付けられていても、その場所は現在はお寺の敷地ではなかったりするためですが、当時は誰かが大切な方を供養するために、ここぞという場所に建てて、大切にお参りされたことでしょう。

しかし、祈る人、その家族、子孫…と次第に故人との関係性が途絶えていき、周囲の環境が変わっていっても、石塔は変わらずに在り続けている。だから、何百年経っても故人とのつながり、環境、当時の人々の思いに想像力を膨らませることができる、石のお墓の力を感じます。

今回は五輪塔を訪ね始めた頃の今年6月、京都石清水八幡宮に残る『航海五輪塔』の写真を投稿いたします。

京阪電車 石清水八幡宮駅

京阪電車の石清水八幡宮駅は山がすぐ側に迫る。石清水八幡宮へ上がるケーブルカー駅直結の駅。

…ですが、目的の五輪塔はケーブルカー駅には向かわず、駅から小路を入っていった、石清水八幡宮の一ノ鳥居(山のふもと)外側の草むらにあります。(右側の家の向こうに五輪塔が見えます)

小路の左側が石清水八幡宮の敷地、右側が神應寺というロケーションです。

石清水八幡宮の航海五輪塔

小路の向こうに表れる巨石。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

新緑の中の五輪塔が見えてきました。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

元々、石清水八幡宮の宮寺、旧極楽寺境内に建てられていたのが、廃寺になりこのような草むらの中に残されたような形になっています。

京都石清水八幡宮「航海五輪塔」

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

総高さ6メートル、最大幅(地輪)2・4メートルという巨大な五輪塔。最下段の地輪でも人より高さがあります。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

建立年は12世紀末~1333年(鎌倉時代)とされ、中世以前のものでは最大クラスの五輪塔とされています。

これだけ存在感がある五輪塔にも関わらず、制作者や建立年の刻銘がなく、何のために建てたのか、謎とされています。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

有力とされる言い伝えによると、平安時代末期の頃、日宋貿易の摂津尼崎の商人が中国からの帰国中、海上で嵐に巻き込まれ、あわや転覆かという時に一心に石清水八幡宮へ祈ったところ、無事に日本に戻ることができた。

ということで航海中に嵐から守っていただいた石清水八幡宮への感謝の気持ちを表してこの五輪塔が建立された、という伝承から五輪塔は「航海五輪塔」と呼ばれるようになったそうです。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

その他にも、供養塔、お墓など、様々な言い伝えがこの五輪塔には残されています。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

細部の彫刻が残る返花座。

京都石清水八幡宮の航海五輪塔

インスタグラムにスライドショーを投稿していますので、そちらもご覧ください。

五輪塔の後は、ケーブルカーで石清水八幡宮へ参拝。

石清水八幡宮ケーブルカー

石清水八幡宮

国宝指定の社殿には神様のお使いとされている「ハト」の装飾があちこちに見られます。

石清水八幡宮の鳩

西日に輝く「黄金の雨樋」。

石清水八幡宮の金の樋

八幡大神は源氏一門の氏神。武神の中でも代表的な神様です。

そのため、戦乱の世には全国から戦国武将もお参りに訪れました。この「黄金の雨樋」は織田信長が寄進したと伝わっているそうです。

最後に航海五輪塔近くの、徒然草に登場するという高良神社があり、訪ねてみました。

京都石清水八幡宮隣接の高良神社

京都石清水八幡宮隣接の高良神社

京都石清水八幡宮隣接の高良神社

小さいながらも、中世から続く歴史を感じられる境内・社殿でした。

航海五輪塔の存在感、本殿の荘厳な姿、高良神社の静かな佇まいからこの地に息づく歴史の重みを感じられる今回の参拝でした。

今回は参拝できなかったのですが、他にも頓宮殿や石清水発祥の地石清水社など石清水八幡宮の歴史を知る場所はまだまだあるようです。

電車もケーブルカーも通る今では気軽に参拝することができますが、昔の人々は、きっと一日(もしくは数日か)かけてこの地を参拝し、神々との対話に心を砕いたのではないでしょうか。

中世の人々がどんな希望や願いをここに託したのか、思いを馳せながらここを後にしました。