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室温130度。熱い石風呂に身をゆだねる―防府阿弥陀寺
少し前からサウナがブームと言われてもう久しいですが、戦後の日本でサウナが誕生し一般化したのは、東京オリンピック(1964年)の際、サウナ本場のフィンランド選手団が持ち込んだのがきっかけの一つだそうです。
それから56年後、二度目の東京オリンピック(2020年⇒2021年)を経た今では、筆者の身の回りでもサウナに行ってきたという話題はごく普通に聞くようになりました。日本でのサウナの現在位置はブームを何度か繰り返しつつ、定着期に入って来たということでしょうか。
しかし、世界でも有数のお風呂文化を育んできた日本には、サウナと同じ原理の入浴スタイル、「石風呂」というものがありました。石室の中で火を焚き、熱くなった部屋の中で汗を流す、というものです。
山口県防府市にある阿弥陀寺には、奈良東大寺の再建に尽力した重源上人ゆかりの湯屋や石風呂の遺構が残っており、保存会の方が石風呂が月1度運営されていると聞いて、体験してきました。
※この記事は2021年11月7日訪問を振り返って書いています。
山口のお寺に石風呂がある理由
防府市は、中世には国司が置かれた行政の中心地だった場所。そこに、鎌倉時代、重源上人が焼失した奈良東大寺再建の命を受け、国司として赴任してきます。そこで、周防の山奥にある徳地から大木を切り出し、奈良へ運び出す一大事業に取り掛かります。
石風呂はその木材の切り出しや運搬作業中に負傷した人々を癒すために設けられ、その数は約60か所もあったそうです。
山口県防府市の大平山(標高標高631.3m)。この麓に東大寺別院周防阿弥陀寺があります。
山口県出身の筆者が石風呂という存在を知ったのは小学校のころ。自分たちの県の歴史について知るという授業の中でした。初めて聞いた時はサウナも知らなかった子供、風呂と言えばお湯に浸かるものと思っていたので、汗を流すことで体が癒されるものなのか、素朴に疑問だったのです。
あれから40年近い歳月が経ち、阿弥陀寺で石風呂が開かれる日と帰省のタイミングが運よく重なった11月最初の日曜日、紅葉が始まった阿弥陀寺を訪ねました。
阿弥陀寺は1187年から建立が始まり1197年に竣工した、華厳宗のお寺です。1180年に焼失した奈良東大寺の別所として建てられました。
山門手前の石仏群にある三日月地蔵。頭光の上部半分が欠損し三日月に見えることから三日月地蔵と呼ばれています。背面に刻まれた、永和二年(1376年)という紀年銘から制作年が判明している石仏としては県内最古のものとされています。
意外?ではない、お寺×お風呂の関係性
山門を入ります。
この仁王門は、江戸時代に荒廃していたものが毛利氏により再建されたものです。
そして両脇でにらみをきかすのが仁王像。高さ約2.7mの迫力満点の表情の金剛力士像が両脇に立っています。鎌倉時代初期の快慶一派による作とされ、国指定重要文化財に指定されています。
山門を入ってすぐの場所に、湯屋や石風呂の遺構はありました。
仏教において施浴は、身を清める儀式に深く結びついていることを、この位置関係からも感じられます。
と、真面目な思いで山門をくぐるのですが、のぼりの中に「風呂」という文字を見ると、“一汗かいてスッキリしたい”という庶民のごく現世的な欲が湧いてきてしまいそうです。
実際、訪ねた日は石風呂に火が入ったためか、この周囲に焚火と少し銭湯っぽい香りを感じたのは気のせいでしょうか。
重源上人ゆかりの湯屋。江戸時代に伽藍を復興する際に再建された切り石の風呂屋形が、この建屋の中に保存されています。
こちらは浴室側。奥にひしゃくが見えます。鉄湯釜で沸かしたお湯をこの石湯舟に汲み入れていたのでしょうか。
こちらはかまど側。左側、屋外につながる石舟は、沸かすための水を引き込むためでしょうか。
今に残る古い石風呂。いつの時代のものかは確認できませんでしたが、碑には「再建之」の文字が刻まれています。訪ねた際、一瞬、今日はここに入るの?と驚きましたが違いました。
目指す石風呂は熱々の状態で先ほどの湯屋の奥にありました。白い壁の建屋の中が石風呂です。
熱した石の独特な熱さで満たされた室内
これが現在使われている石風呂の入口。陶芸の薪窯を彷彿とさせる外観です。左側の供養塔には昭和56年再建立とあります。
運営されている保存会の方に入り方を教わりました。
●内部は非常に熱いので肌はなるべく出さないように、金具類が付いていない服装で入ってください。
●特に上部は熱いので腰は低くして入ってください
●それでも熱い人は毛布をかぶると熱さをしのげます
●入った後、汗が気になる人は簡易シャワーを使ってください
一般のサウナでは熱さに挑戦してみませんか?という雰囲気がありますが、ここでは真逆。
それもそのはずで、石風呂の開始時は130度近くの室内温度になるそうで、サウナよりずっと高温なのです。
石風呂の内部。4畳半ほどの広さで床のむしろ下には菖蒲系の薬草が敷かれ、その香りがします。
下に敷かれている薬草
開かれる日の朝、ここで薪が焚かれます。薪が燃え尽きるまで4時間。薪が灰になる頃、熱は周囲の石に蓄えられ石風呂が完成。言わば、大きなかまどで火を焚いた後、その中に人が入るようなもので、確かに熱い訳です。
ちなみに、サウナのように水蒸気の熱さはなく、石の蓄熱だけを浴びるスタイルなので湿気がありません。汗もさらっとしていて、服を着ていてもどんどん乾いていくのか、不快さはゼロ。
何よりも特筆すべきなのが、石風呂から外へ出た時の風の爽快さ。
境内の別の場所の写真で、石風呂の外の風景ではありませんが、外へ出た瞬間はこんな爽やかな景色に見える、サウナの水風呂に相当する“ととのう”瞬間です。
服を着たままなので男女の区別なく入れて、部屋を出入れするだけで癒されるので、お風呂と言ってもかなり気軽にリフレッシュ出来るのが、石風呂の特長ということがよく分かりました。
東大寺再建事業が始まった当時、山口で切り出した大木をはるばる関西の奈良まで送るためには、道や河川の土木工事も必要ですが、大勢の労働者をリフレッシュしてもらう厚生施設も重要と、重源上人は見抜いていたのでしょう。
そこで、大量のお湯を作ることが難しかった当時、湯屋より、大勢の人が一度に汗をかいて癒せる簡易的なスタイルとして、約60か所もこうした石風呂を作れたのではないかと想像します。
とは言え、今でも保存会の方は薪を焚いた後、一番熱い時の室内に入って灰をかき出すなどの準備をされているので、運営側の苦労もしのばれます。
ちなみに、重源上人が阿弥陀寺で奈良東大寺の再建に着手したのは61歳の時ということですから、その超人ぶりに驚かされます。
身を清めて参拝へ
石風呂で汗を流した後は本堂に参拝です。
地形を生かした参道は季節毎に植栽が変わり、特に地元ではアジサイのお寺として有名です。
この門をくぐると本堂です。阿弥陀寺の本堂
訪れた11月初め、紅葉が始まっていました。
重源上人の供養塔。重源上人は1206年、86歳で亡くなっています。
念仏堂。1484年に焼失し、明治36年再建。堂内には1692年作の阿弥陀如来坐像が安置されています。
境内の菩提樹
阿弥陀寺では他にも、宝物館では国宝『鉄宝塔』など重要文化財、重要美術品などが展示されています。※前日までに要予約とのこと
鎌倉時代から伝わる、石の恩恵を感じるこの場所、また違う季節にも訪ねてみたいと思いました。