特別企画
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「庵治石」の誕生とその謎に迫る! ―「街角地質学者」こと名古屋市科学館主任学芸員・西本昌司氏に聞く
――庵治石に見られる二重の絣模様は「斑が浮く」とか「群雲模様」などと表現されていますが、実はそれがどういうメカニズムで発生したものなのか、未だに解明されていません。「黒雲母の集合体ではないか」といった見解もありますが、西本さんはどうお考えでしょうか?
西本氏 実際のところ、私にもよくわからないんです。しかし、偏光顕微鏡で見ると、どのような組織になっているかがわかります。庵治石の場合、黒雲母だけが集まることはなく、仮にあったとしても見ればすぐにわかるので、おそらく黒雲母の集合体ではないと思います。
よく観察してみると、カリ長石の大きな結晶のなかに黒雲母や石英、そして斜長石などの小さな結晶が混ざったような状態になっています。その大きな結晶全体のひとかたまりが、おそらく「斑」に見えているのではないかと思っています。しかし、正直申し上げて推測の域を出ません。
薄片状にカットした庵治石の偏光顕微鏡写真(クロスニコル、短辺約5㎜)
なお花崗岩のなかに「さび石」と呼ばれるものがありますが、あれは黒雲母に含まれる鉄分が酸化したものです。顕微鏡で見ると、黒雲母の周りが茶色く変色しているのがわかります。酸化は大気に触れたときだけでなく、地中でも起こります。それは酸素をたっぷり含んだ雨水や河川の水が断層や亀裂を流れる地下水となって地中に浸透したことによるもので、逆に酸素をほとんど含まない地下水であれば錆びることはありません。
それに花崗岩の周りは錆びていても、「コアストーン」と呼ばれる中心部分は錆びていませんので、他に問題がなければ良質の材料として使うことができます。
――昔の北木石は、地表に近く採石しやすい上石を出荷したことで「錆びやすい」といわれた時期もあったようですが、最近はコアストーンを意識して出荷するようになり、錆びはほとんど出ないそうです。
西本氏 最近の北木石が白くなったのは、そういう理由だったんですね。
――庵治石に限らず、山石屋の職人さんは「石の目」を見て採掘します。庵治石の場合、最も割りやすいのが、地盤に対して水平方向に走る「目」で、その次が東西方向に走る「二番(肌)」、最も割りにくいのが南北方向に走る「重ね(肌)」といわれています。こうした性質は岩石の成り立ちと何かしら関係があるのでしょうか?
西本氏 「石の目」はさまざまな地殻変動で生じた傷跡(一種の断層)のようなものです。水平方向の「目」は、地下深部にあった花崗岩体が上昇してきて、岩体のうえにあった地質が削剥され、押さえつけていたものがなくなること(応力解放)で生じた割れ目だと考えられています。
また物体に水平方向の圧縮力を加えると別の二方向(直交する斜め十字方向)に割れる性質があり、地質学では「共役断層」といいます。それが後の地殻変動の影響も受けて「二番(肌)」「重ね(肌)」と呼ばれる割れ目になったのだと思います。
現在の日本列島の場合、太平洋プレートが西方向へ進むことで、東西方向に常に圧力を受けています。しかし西南日本は大陸から離れるときに右回りに少し回転しているので、もともとは東北から南西方向に向かって走る割れ目だったのが東西方向になり、それが「二番(肌)」と呼ばれているのかも知れません。
以前は「(石の目は)マグマが冷えて固まるときにできた割れ目」といわれていましたが、最近そうではないことがわかってきました。
いずれにせよ、石工さんは石の目を目視で見分けられるというのですから驚きです。おそらく石英の粒に微細な割れ目の筋が入っていて、それを見ているのではないかと推測しています。山石屋さんによく「ほら、そこに(石の目が)走っているでしょ」といわれたりしますが、私には何も見えませんでした(笑)。
――とても勉強になりました。本日は、お忙しいなか、ありがとうございました。
出典:『月刊石材』2020年10月号
聞き手:『月刊石材』編集部 関根成久
◎名古屋市科学館
愛知県名古屋市中区栄2丁目17-1
http://www.ncsm.city.nagoya.jp/
西本昌司(にしもと・しょうじ)
名古屋市科学館主任学芸員、博士(理学、名古屋大学)。1966年広島県三原市出身。筑波大学第一学群自然学類卒業。同大学院地球科学研究科修士課程修了。名古屋大学博物館研究協力者、愛知大学非常勤講師、NPO法人日本サイエンスサービス理事を兼務。地球科学の振興に努めている(好きな岩石は花崗岩)。専門は地質学、岩石学、博物館教育。著書に『東京「街角」地質学』(イースト・プレス)、『街の中で見つかる「すごい石」』(日本実業出版社)、『改訂新版 地球のはじまりからダイジェスト』(合同出版)などがある。