墓を訪ねて三千里

墓マイラーであるカジポン・マルコ・残月さんによる世界墓巡礼のレポートです。

“三重苦”を乗り越えて人々の希望に~ヘレン・ケラー&サリバン

2022.02.03

海外

2人の遺灰が納められたことを示すプレート型の墓碑。
点字の部分だけ色が違う。どれほど多くの人がここに来たのだろう!

 

「不幸のどん底にいるときこそ、信じてほしい。世の中にはあなたに出来ることがあるということを」。

 言葉は誰がそれを言ったかで何倍にも光り輝く。三重苦を克服したヘレン・ケラーの伝記に先の言葉を見つけたとき、どれほど勇気づけられたか。

 ヘレンは1歳9ヵ月のときに高熱で視覚と聴覚を失い、言葉が不自由になった。両親は教育方法に悩み、7歳になったヘレンに家庭教師をつける。20歳のアン・サリバンがケラー家にやって来た日を、「それは私の魂の誕生日だった」とヘレンは回想する。

 2人が出会って33日目。サリバンはヘレンと散歩中に井戸へ寄り、ヘレンの手に水を注ぎながら「w‐a‐t‐e‐r」と指文字を何度も綴った。突如としてヘレンの中で言葉と物が結びつき、すべての物に名前があることに気づいた。沈黙の暗闇に光が差し、ヘレンはサリバンの方を向いて名前を聞く。綴られたのは「t‐e‐a‐c‐h‐e‐r」。夕方には「give」「go」「baby」など30もの単語を覚えていた。
 
「言葉の存在を最初に悟った日の夜。私は嬉しくて嬉しくて、ベッドの中で、このとき初めて“早く明日になればいい”と思いました」。
 
 翌月に点字の本を読めるようになり、2ヵ月後には簡単な手紙を書けるようになっていた。ヘレンが非常に高い知性を持っていることが明らかになり、それまで聾唖者の知的発達を疑っていた人々はみな驚いた。名門ラドクリフ女子大に入学すると、サリバンはヘレンと同じ寮に住んで全授業に出席し、目となり耳となって講義内容を手の平に伝えた。ヘレンは“優等”で卒業し、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語、フランス語を身に付けた。

 社会問題に関心を持ち、婦人参政権運動のデモに参加したり、第一次世界大戦に際しては平和主義の立場から「私の祖国は世界です。それゆえ、どんな戦争も私にとっては同胞を争わせる非常に嫌悪すべきものなのです」とスピーチしている。

 ヘレンの発案で米国盲人援護協会が創設され、3年間に250回も集会を開き、25万人に盲人支援を訴えた。ヘレンはまた、それまで欧州式、米国式など五種類に分かれて不便だった点字を統合すべく運動し、現在使用されている6点式の点字を国際標準化することに成功した。

 60歳後半から始めた海外講演は5大陸35ヵ国にのぼり、訪日の際は奈良の大仏を自由に触ることを許された最初の女性となった。ヘレンは持ち前の楽天主義で様々な壁を乗り越えていき、アインシュタインは彼女の個性を開花させたサリバンを絶賛した( “奇跡の人”とはサリバンのこと)。

 ヘレンの墓は米国の首都ワシントンDCの大聖堂にあり、地下礼拝堂の一角に恩師と一緒に眠っている。2人の名前が刻まれたプレートは、点字の部分が指でなぞられ輝いていた。指を触れると墓を訪れた無数の人々と繋がった気がした。

「幸せの1つの扉が閉じると、別の扉が開く。しかし、私たちは閉じた扉ばかり見ているために、せっかく開かれた扉が目に入らないことが多いのです」。


墓所のワシントン大聖堂。
なんとステンドグラスに月の石が埋め込まれている!

 

※『月刊石材』2013年4月号より転載

 

カジポンさん

カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)
1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。
歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、35年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』(http://kajipon.com) は累計7,000万件のアクセス数。

 

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