墓を訪ねて三千里

墓マイラーであるカジポン・マルコ・残月さんによる世界墓巡礼のレポートです。

世阿弥元清~能を究めた舞の名手を訪ね、非公開寺へ

2020.11.11

日本

世阿弥元清世阿弥の墓は父・観阿弥と並んでいる(小さな五輪塔)。
風化が進みどちらが世阿弥か寺も分からないという

 

「初心忘るべからず」「秘すれば花なり」「命には終わりあり、能には果てあるべからず」

 数々の言葉を後世に遺した天才能楽師・世阿弥元清。50作以上の演目を作った劇作家でもある。

 幽玄な舞で3代将軍足利義満を虜にしたが、後年芸術上の信念を貫くが故に六代将軍義教と対立し、71歳という高齢で佐渡に流された。七年後、義教が暗殺されると、京都大徳寺の一休和尚の尽力で配流が解かれた。

 こうした縁で、世阿弥の墓は大徳寺真珠庵にある。しかし、同庵は建物が重要文化財に指定されており、内部は非公開! それゆえ、1999年の特別公開に合わせて訪問した。でも、「公開は寺内のみで、一般の方は墓地に入れません」とガードが固く玉砕。

 僕は“特別公開中に行った為に、かえって普通の観光客と思われ逆効果だったのかも”と考え、4年後に再訪した。玄関先で随分食い下がったけど、丁重に断られた。

 そして翌年8月8日! 世阿弥の命日! 墓参に最もふさわしい日だ。はっきり言ってこの日がダメなら、他の日に行っても絶対に無理だろう。同年は561回忌。区切りのいい600回忌は約40年後。その頃僕はもう80歳近くで、存命かどうかさえ分からない。会わせてもらえるまで、とにかく毎年この日に訪問し続けるしかないと腹をくくった。

 服装を整え、線香とお花を携え、夕方の一息ついた時間帯に訪問。ガラガラガラと引き戸を開ける。真珠庵の玄関は薄暗い。奥の方から話し声が聞こえ、意を決して「ご免くださ~い!」と震える声を張り上げた。「はーい」と出てきたのは年配の女性。以前に僕が断られた人だ。“また門前払いになるのか…”不安が胸をよぎった。

「世阿弥さんの命日なのでお花と線香を持ってきました。是非、手を合わせさせて…」と言ったところで「ごめんなさいね、お断りしてますの」。僕は諦めなかった。「せめてお花だけでも墓前に…」。そして奈良の世阿弥生誕の地“面塚”を訪ねた時の写真を取り出した。この瞬間、空気が変わった!

「あらまぁ、面塚まで。ちょっと待っときやす。和尚さぁ~ん!」

 しばらくして貫禄充分のご住職が出て来られた。「世阿弥さんのお墓参りに来られたとか」。僕は汗が噴出し、緊張で声が上ずった。

「す、すみません、ご無理を言って!」

 世阿弥へのほとばしる想いを話すと、「そうですか。それでは墓前で手を合わせてあげて下さい。墓地は寺の裏側なので私の後について来るように」。なんかもう、興奮し過ぎて真っ直ぐ歩けない。

「こちらです。私は先に戻っていますので、どうぞごゆっくり」

 墓前にて、この世のものとは思えぬ美しい芸術を残してくれたことへの感謝の言葉を捧げた。

※能楽は650年を超える長き伝統から、2001年にユネスコの世界遺産(無形文化遺産)に指定されている。

 

世阿弥元清生誕地の面塚(奈良県川西町)。
観阿弥がこの地で観世流を生み出し、右後方に“観世発祥之地”の碑も建つ

 

※『月刊石材』2011年10月号より転載

 

カジポンさん

カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)
1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。
歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、35年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』(http://kajipon.com) は累計7,000万件のアクセス数。

 

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