墓を訪ねて三千里
墓マイラーであるカジポン・マルコ・残月さんによる世界墓巡礼のレポートです。
ベートーヴェン巡礼 ~巨匠の側に有名作曲家が大集合!
広大なウィーン中央墓地の楽聖地区に眠る。
路面電車の駅が3つもある巨大墓地だ!
12月といえば、第九!
多くの人から愛されているこの曲は、19世紀初頭の理不尽な封建時代にあって、身分制度を飛び越えて人類平等の兄弟愛を歌い上げた傑作だ。
第九初演には細心の注意が必要だった。当時のウィーンではフランス革命の波及を恐れた皇帝が、王政や身分制度に反対する者を次々と秘密警察に逮捕させ大弾圧を行なっていた。
平民出身のベートーヴェンは差別のない社会を求めており、危険思想の持ち主として当局にマークされていた。ベートーヴェンは知人への手紙で、“自分の思想を大声で話せない。そんなことをすれば、たちまち警察に拘留されてしまう”と憂いた。また、筆談帳にはレストランでの友人との次の会話が残っている。
「ご注意下さい、変装した警官が様子をうかがっています」。
ベートーヴェンは自由・平等・博愛の精神を込めてシラーの詩にメロディーを付け、第九初演に挑んだ。演奏会当日、危険人物のレッテルを貼られた作曲家のコンサートにもかかわらず、大勢のウィーン市民が足を運んだ。舞台ではベートーヴェン自身が指揮棒を握ったが、耳が聞こえないため代理の指揮者が後ろに立ち、演奏者はそちらに合わせた。
演奏が終わって聴衆から大喝采が巻き起こったが、ベートーヴェンはそれに気づかず、失敗したと感じて振り向かなかった。見かねてアルト歌手が歩み寄り、巨匠の手をとって振り向かせ会場の興奮を伝えた。演奏後にアンコールの喝采が続いたが、聴衆が5回目の喝采を行った時、劇場に潜んでいた当局の人間が人々を制止した。当時、皇帝への喝采は3回と決められており、それ以上は不敬罪となるからだ。
音楽家の命である聴覚を失いながらも、「行為の動機が重要であって結果は関係ない。精神生活が旺盛なら結果を考慮しないし、貧困と不幸は単に事柄の結果であるにすぎない」「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」と前進を続けた彼。素晴らしい音楽だけでなく、生きる姿勢にどれほど勇気づけられてきたか。僕はかつて人類の中に彼がいたという一点をもって、人間が地球に誕生したことは無意味ではなかったと確信している。
1827年3月、肺炎を患ったうえ、黄疸も発症し、肝硬変を起こして56年の生涯を終えた。最期の言葉は「諸君喝采したまえ、喜劇は終わった」。集会の自由が制限されるなか、葬儀には2万人もの市民が参列し、臨終の家から教会に至る道を埋めたという。宮廷からは一輪の花も、1人の弔問もなかった。
いまベートーヴェンの墓の隣りにはシューベルトが眠り、その横にヨハン・シュトラウス、ブラームスの墓が並んでいる。近隣にはシェーンベルク、スッペらもいる。後世の作曲家はみんなベートーヴェンの側に眠りたいのだろう。彼の墓前からは巡礼者の波が絶えることがない。
シューベルト(右手前)は遺言で「墓はベートーヴェンの隣りに」と希望
※『月刊石材』2011年12月号より転載
カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)
1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。
歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、35年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』(http://kajipon.com) は累計7,000万件のアクセス数。
企画スポンサー:大阪石材工業株式会社