墓を訪ねて三千里
墓マイラーであるカジポン・マルコ・残月さんによる世界墓巡礼のレポートです。
岡本太郎 ~前衛美術運動の旗手は、お墓もインパクト絶大
岡本太郎のお墓。
養女・敏子さんが2005年に他界し、2人の名が墓誌に並ぶ
メディアの方から「個性的なお墓を紹介したいのですが、オススメの偉人はどなたですか」と質問を頂いた時に迷わず即答しているのが、日本最大の公営霊園、東京・多磨霊園に眠る前衛芸術家・岡本太郎のお墓だ。子どもが頬杖をついてニコニコと笑っているような太郎の彫刻『午後の日』を墓石に使っており、墓前で手を合わせていると何とも和やかな気持ちになる。
太郎は18歳の時に両親の渡欧に同行して、パリに10年以上も滞在。ピカソらと交流を深めるが、ドイツ軍のフランス侵攻を受け帰国する。その後、陸軍二等兵として中国に四年間出征。戦後、東京国立博物館で縄文土器との衝撃的出会いをする。
「驚いた。そんな日本があったのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃えあがっている。異様なぶつかりあい。これだ! まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ」
太郎は芸術作品を誰かが所有することを否定し、自分の作品を個人に売ることはなかった。そこに行けば誰でもタダで楽しめる作品を目指し、壁画やストリートのオブジェを制作し続けた。
一方、自身の従軍体験を背景にした反戦思想を持っており、ベトナム戦争時、米政府へ向けてワシントン・ポストに載せた意見広告(1967年4月3日付)に、戦争そのものへの呪いを込めた書体で、大きく「殺すな」と墨で書き綴った。
渋谷駅の壁画『明日の神話』に描かれているのは原爆が炸裂した瞬間だ。太郎いわく「キノコ雲を見ていなくても、ヤケドをしなくても、我々全てが被爆者なのだ」。
大阪万博で『太陽の塔』を発表し、10年後、70歳の太郎がCMで叫んだ「芸術は爆発だ!」が流行語となった。晩年はパーキンソン病を患い84歳で永眠する。
父は漫画と小説を一体化させた漫画小説でストーリー漫画の源流を作った岡本一平。母は小説家の岡本かの子。両親は太郎のお墓と向き合う形で建っている。一平のお墓にも笑顔の彫像があり、こちらは太郎が制作した母『かの子像』が原型だ。かの子のお墓には彼女が信仰していた観音菩薩像が置かれている。
かの子が生前に「死体を焼くのはおかしい」と火葬を嫌がっていたので、一平は多磨霊園と必死に交渉して土葬の許可を得た。
墓域中央には川端康成が岡本家を紹介した碑文が建つ。
「この3人は日本人の家族としてはまことに珍しく、お互いを高く生かし合いながら、お互いが高く生きた。深く豊かに愛し敬い合って、3人がそれぞれ成長した。古い家族制度がこわれ、人々が家での生きように惑っている今日、岡本一家の記録は殊に尊い。この大肯定の泉は世を温めるであろう」
岡本家の墓所はいわば一家団欒の場であり、中央に立つと陽だまりの中にいるような温もりを感じる。癒やしの墓域だ。
太郎と向き合う父・一平と、母・かの子のお墓。
親子が笑顔を交わしている素晴らしい墓所!
※『月刊石材』2012年5月号より転載
カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)
1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。
歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、35年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』(http://kajipon.com) は累計7,000万件のアクセス数。
企画スポンサー:大阪石材工業株式会社