特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

礼拝には、揺らぐことのない石が必要―建築家・押尾章治

2020.11.13


建築家・押尾章治「大法寺 ぴらみ堂」
神奈川県綾瀬市、2019年、納骨堂
(写真:山崎英紀)


●インタビュー/「月刊石材」2020年9月号掲載

礼拝には、揺らぐことのない石が必要
建築家 押尾章治(一級建築士事務所UA・代表取締役)


観念世界をつなぐ「体験」のデザイン

宗教施設や礼拝空間というのは、人間の力や自然の力を超えた先にある、観念的な世界とつながれる場所なのだと思います。そして、それを可能にするためには、来訪者自らの主体にかかわるような何らか直接の「体験」が必要だと思います。

建築家も宗教施設をつくることはありますが、祈りや信仰、供養という、観念的な世界とどうつなげていけばよいかという視点が不充分であると、結果として、「体験」のデザインが乏しくなり、単なる仏像の展示会場のようなものになってしまいます。

また一方で、現代美術作家も宗教施設をつくることがあります。機能性や使い勝手などの要求に拘束される現実的な建築よりも、自由なアートの方が「祈り」に近づけていると思うことも多いです。それは空間体験のみに特化してつくられることが多いからでしょうか。もともと宗教とアートは、どちらも観念的な世界に対して感覚を拡げながら、自覚的に自己をゆだねようとするところが似ているので、その場においてはアーティストの方が高い表現レベルを発揮しやすいのだと思います。

でも宗教の場合だと、アート的な体験に加えて、さらに教義や儀礼、作法などがかかわってきますね。私は、そうした極めて宗教的な部分も「体験」のデザインに活用しようと考えています。当然、少し宗教者側のスタンスに近づくようにはなります。しかし、人の心に触れる空間体験をつくるうえでは、欠かせないことだと考えています。

建築家・押尾章治「対話のギャラリー」東京都立川市、2006年
可動式ガラス展示ケースを採用し、仏師でもあった開祖の作品(仏像等)を床座で礼拝・鑑賞する
(写真:真如苑)



震災で考えた建築の役目と『祈りの杜』

そう考えるようになったきっかけの一つに、東日本大震災があります。津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市に、現地の遺族会が中心となり、お寺(西光寺)や関係者、ボランティアの皆さんと一緒に、慰霊広場『石巻祈りの杜』(2014年)をつくらせていただいたことがありました。そのときの経験がとても大きく影響しているのです。

場所は、石巻市の門脇地区で、当時のことを振り返ってみると、いまでも生々しい被災地の風景が浮かびます。震災後3年近くを経過していましたが、目の当たりにしたのは、原っぱの上の片づけ切れない瓦礫(がれき)と重い悲しみの空気でした。ニュースで聴く、客観的な被災状況とはまったく異なる生(なま)の世界がありました。遠くからやってきた人間が、おこがましくも掛けられる言葉など何もない状況です。当然、私などでもそれまでに人並みに葬儀などに接する経験はありましたが、でも、いままでまったく人の死というものを理解していなかったのではないかと思えるほど、強烈な体験でした。

そこでは、人の悲しみに寄り添うことの不可能さを思い知らされました。自分には役に立てることなど何の一つもないと、無力でした。慰霊広場をつくる役目として行ったのに、唯々(ただ)、訥々(とつとつ)と「建築とは何なのか」「建築に何が可能なのか」を反芻(はんすう)しているのみでした。

建築家・押尾章治「石巻祈りの杜」宮城県石巻市、2014年
東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市門脇地区につくった慰霊広場。協賛者から提供された伊達冠石、白河石、植栽などを使用している
(写真:UA)




思いはいろいろと巡りましたが、やはり建築には建築の役目があるのだと思い至りました。建築は、個別具体的に人の実情に応えられるようにはできていないのではないかと。たとえば殺人事件のニュースに心を痛めたとしても、「殺人の起きない建築」というのはつくり得るものではないし、そのようなことには応えられない。建築の役目というのは、もっと異なる部分だと思いました。

建築の役目は、一つに、人の感覚を押し拡げることなのではないかと考えたのです。人間一人ひとりは小さく、思考の範囲も行動の範囲もとても小さいのですが、建築空間での体験を媒介に自らの感覚を押し拡げ、外部環境に意識を敷衍していくことができる。小さな内面しか持たない一つの身体を、外部の大きな世界につなげていくことができるわけです。

そうすると、すぐ隣りにいる家族や友人ともつながれる。もっと拡げて、地域や社会の人たちともつながれる。物理的に把握できない地球の裏側へだって、思いをつなげていけるのではないかと。建築空間では、此岸(しがん)から彼岸(ひがん)へと思いを架橋することができるのだという考えに至ったのです。

現地では、遺族の方々と直接打ち合わせをさせていただくことは、ついぞ叶わぬ現実がありました。大きな距離があったのです。それでも、ここで自分がなすべき役目は、亡くなられた方々がいる「天」という観念世界へと感覚を拡げて、自分たちが生きている現実の世界とをつなぐことなのだと思えたのです。仏教でもキリスト教でも亡くなられた方は「天」にいると。「天」の世界である空に向かって、地上に残った人の思いを届けようと考えたのです。

それで、皆さんから協賛でいただいた舗石ブロックや石のベンチ、植栽など、限りある数量の材料を、「天」の皆さんから読み取れるメッセージとなるように割り付けました。メッセージの言葉は「や・す・ら・か・に」。トンとツーで構成されるモールス信号のパターンに変換してデザインすることを思い付いたのです。

石巻に通いはじめた頃はよくわかりませんでした。でも、さまざまな現実に接しながら、最後の泊まり込み作業のなかで、おぼろげながら実感がつかめたように思いました。

建築家・押尾章治
建築家・押尾章治
「石巻祈りの杜」
伊達冠石はベンチや敷石、白河石は舗石ブロックに。植栽内には被災した仏像等を置き、誰もがそっと手を合わせられる

建築家・押尾章治天から見ると、モールス信号の「や・す・ら・か・に」が読み取れ、故人へのメッセージとしている
(写真:UA)