特別企画
お墓や石について、さまざまな声をお届けします。
内包する記憶、時間を守り続ける石の姿が美しく、感動する―彫刻家 岡本敦生
作品「Forest-planet-3
(2009年、Warwick Art Center蔵)
バザルト(黒みかげ石)の玉石
サイズ:100×100×100(h)㎝
●インタビュー/「月刊石材」2019年6月号掲載
内包する記憶、時間を守り続ける
石の姿が美しく、感動する。
彫刻家 岡本敦生
少年期、宇宙への憧れ
――幼少期から美術に親しまれていたのでしょうか?
岡本敦生(以下、岡本) 学校の美術クラブに所属して絵を描いたりしていましたが、もともと美術に強い興味があったというわけではありません。それよりも少年時代から科学的なこと、理科や物理が好きで、時間の流れを考えたり、星や宇宙が大好きで、天体望遠鏡で夜空を眺めていましたね。だから美術大学に進学しようなんて思ってもいなかったんです。
でも、高校3年生の2学期のある日、美術を目指していた悪友が「藝大、美大を受験するための研究所(予備校や塾のような機関)に可愛い子がいっぱいいるぞ。見に来いよ」と電話をくれたんです。それで翌日の放課後に行くと、確かに可愛い子ばかり(笑)。「よし」と思ってその場で入塾を申し込んで(笑)。
それで帰宅して親に話したら、もう大喧嘩ですよ(笑)。父は国家公務員。いまでいう職業安定所の職員をしていて、職のない人に仕事を紹介していたんです。その息子がアーティストになるなんてね(笑)。でも、それで逆に反発したんですね。
――それは意外なきっかけでした(笑)。
岡本 そう、彼女でも見つかればいいやと、不真面目な学生でね(笑)。でもそんなに短期間で大学に合格できるわけもなく、しかも自分で「絵の才能はない。彫刻がいい」と考えていたのですが、故郷の広島には彫刻の先生がいない。それに、まだ宇宙への憧れみたいなものを持っていて、あるとき研究所の先生に相談したんです。「美術の分野へ進むか迷っている」と。
そうすると、その先生が「美術だって、宇宙の果てに行けるんだぞ」とおっしゃった。それがすごい説得力で、「よし、本気になろう」とようやく開眼したんですね。
雨引の里と彫刻2019(2019年4月1日~6月9日、茨城県桜川市)に出展した岡本氏の作品「息を彫る2019-1」(中央)、作品「同-2」(手前)、作品「同-3」の3点。いずれも白みかげ石で、サイズは作品「1」が70×55×150(h)㎝、作品「2」が167×37×63(h)㎝、作品「3」が95×84×55(h)㎝。休耕田に設置した
石との出会いと宝物
――石との出会いは美術大学が最初ですか?
岡本 生家が広島市の太田川という大きな川のちょうど三角州の頂点あたりにあって、小学生のときには学校から帰ると、友だちと一緒に川原に遊びに行って、よく石を拾っていましたね。それが一番最初の石の思い出かも知れません。川原に行けばいつも下を向いて、かたちとか色とか感触とか、「これはいい石だ」という石を見つけて宝物にしていましたね。
いまだに外国に行っても、川原とか海岸に行くと一日中、石を探して歩いています。全然飽きないです。それで拾った石は家に持って帰って、もうかなりいろいろな土地の石が集まっていますが、やっぱり宝物です。
大学の授業では、はじめに「小松石」(神奈川県産)を彫りました。それは教材として支給されていた石です。それから二年生のときかな、福島県の黒石山(「浮金石」の産地)に先生や生徒と一緒に行って、そこで石切り場の風景に感化されて、小さな黒い石を一つ買いました。それまでそんなに硬い石を彫ったことがなかったので、コチンコチンと見よう見真似で彫っていたら先生が単位をくれて。「あ、石はいいな」と思いましたね(笑)。
――彫刻でも木や金属などの素材がありますが、どうして石を選ばれたのですか?
岡本 石が一番、自分に合っていたということでしょうね。
石を彫るのは時間がかかります。でも時間がかかるからといって、途中で投げ出したくないから、できるまでコチンコチンと彫るじゃないですか。それがいいのかな。
金属も嫌いではなかったのですが、鉄の元は石ですからね。それなら石を彫ったほうがいい。木はまた違うけど、木は生きているから、それを彫るというのは何だか自分の体を彫っているようで、どうも生々しくて、あまり好きにはなれなかったんです。
福島で買ってきた黒い石ではトルソーを彫りました。地道に彫っているうちに何とかかたちになってきて、そうするとまた石がおもしろくなりましたね。石は硬くて、なかなか前へ進まないから余計に夢中になれます。
作品「水を彫る2017」
(伊勢現代美術館での個展にて)
黒みかげ石、サイズ:12㎝(π)×70㎝(L)の
円柱が水深40㎝の水に入った状態