特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

石の核心に向き合うとき、私の心が彫刻される―彫刻家 絹谷幸太

2021.06.16


稲田石との出会い。

石を知ることは自分自身を知ること

石切り場に行くと、学校では経験できないような石との出会い、向き合い方が生まれます。また職人さんの仕事を現場で見て、道具の焼き方や使い方など、いろいろな技術を教えていただきました。最初は外国かと思うほど方言が強くて、ほんとに半分くらいしか話の内容を理解できなかったんですけど(笑)。でも私はすぐに夢中になって、1年生からずっと大学の夏休みや冬休み、春休みなどを利用して、JR稲田駅の目の前にあった稲本旅館に泊まり込んで石切り場での作品づくりに没頭しました。

稲田石も当然、すばらしい石ですが、そこで働いている職人さんや丁場の環境、空気感など、すべてが私にとって魅力的だったのです。12月の暮れになると、普段は命がけで働いているごっつい職人さんたちが女装して、お酒を飲んで、カラオケを歌い、大騒ぎしてね(笑)。でも、丁場などで私が危なっかしいことをしていると重機を止めて助けてくださったり、そういうことも含めて、石という素材や仕事にさらに魅了されていったのだと思います。

そのような経験を通して、もっと石のことを知りたいと思いましたし、もっとうまく彫れるようになりたいと思いました。もっともっと、石に近づいていきたいと思ったんですね。

石は、最初から本当に痛い思いをして、もう泣きそうになりながら始めたものですが、なかなか形ができず、思い通りにいかずに、まさに私自身を見るようでもありました。もっと石のことを知りたいという気持ちは、実はもっと自分自身のことを知りたいと思う気持ちと同じだったのです。

そうやって思考をめぐらすと、石はもはや単なる彫刻の材料というレベルではなくなり、まさに自然の実材になります。ここ(石)にすべての地球の歴史や真実を凝縮した美しい世界があるのです。だからもっとそれに近づきたいと、それはいまでも思うことです。

そうしたことは柳原先生、土谷先生、そして中野組石材工業の職人さんたちとの出会いがなければ得られなかったと思います。

絹谷幸太作品『ブラジル日本移民百周年モニュメント』(2008年)制作のための稲田石の運搬作業。絹谷氏は学生時代から稲田石の石切り場に通い、石に魅了された


日本の石には、
大和の美しい心が詰まっている

稲田石をはじめ、日本の石には、本当に大和(やまと)の美しい心が詰まっていると感じています。それはいま、外国のいろいろな石を彫っているとなおさら感じることです。大和の古(いにしえ)の美しさ。アトリエで石に向き合い、また石切り場で彫っていても、現代の日本人がなかなか掘り起こすことのできない眠ったままの美しさを、それぞれの石からひしひしと感じられます。

2019年に「真鶴町・石の彫刻祭」に招待していただき、公開制作で本当に30年ぶり、それこそ大学1年生で初めて彫って以来、小松石を彫りましたが、改めて「なんていい石なんだろう」と感動しました。

それはやはり、石が土になり、山を育み、その養分が野菜を育てたり、川や海に流れ込んで魚を育てたりして、それらを私たちがいただくことで、日本の石が日本人の細胞の奥底に入り込み、しみわたっているから、そう感じられるのだと思うのです。それは私だけの感覚ではなく、気づかないけれど、日本人ならきっと誰もが持っているはずです。だから石屋さんが胸を張って日本の石のよさ、美しさを伝えれば、お客様もやっぱり「日本の石がいい」といってくださるのではないかと思います。

絹谷幸太作品『創知彫刻2020』(石の遊具、小松石)
2019年に「真鶴町・石の彫刻祭」(神奈川県)に招待され公開制作で30年ぶりに小松石を彫った

一方で、私は当然、彫刻家として外国の石も彫ります。なかでもブラジル産の青色花崗岩はとても美しく、好きな石のひとつなのですが、画家の父にいわせると、「この石を粉にして絵具にしたほうがいい」となるんですね(笑)。苦労して彫刻しなくてもいいではないかと。

でも、私にはそれができないんです。この青い花崗岩を彫っていくと、その破片が青い絨毯のように私を取り囲み、それはもう本当に海のなかを漂っているような、または広大な宇宙をさまよっているような感覚になり、それこそまさに地球そのものを感じるからです。

そのとき、私はこのかけがえのない地球を戦争や環境破壊等で壊していく人類の愚かさや儚(はかな)さを思い知るのです。138億光年ともいわれる広大な宇宙のなかで、生命が存続できる唯一の星が地球です。そこには人種や宗教の違いによる争いや、差別や偏見などがあるはずもない。そういうことを、石を彫っていると石から直(じか)に教えられます。

そのように私が石と向き合って感じたこと、学んだことを造形化しています。それを作品として世のなかに発表し、ひとりでも多くの方に共感していただければいいなと思いながら、石と対話しています。

絹谷幸太「真鶴町・石の彫刻祭」の公開制作で雨のなか制作する絹谷氏(2019年11月、編集部撮影)