特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

石の核心に向き合うとき、私の心が彫刻される―彫刻家 絹谷幸太

2021.06.16


絹谷幸太作品『ブラジル日本移民百周年記念モニュメント』で遊ぶブラジルの子どもたち
ブラジル・サンパウロ市カルモ公園、2008年
*彫刻家  絹谷幸太「創知彫刻 石と遊び、石に学ぶ。」


●インタビュー/「月刊石材」2021年3月号掲載
石の核心に向き合うとき、
私の心が彫刻される
彫刻家  絹谷幸太


彫刻との出会い

高校3年生の夏休みが終わり、そろそろ進路を決めなくてはいけない頃、父(絹谷幸二氏、洋画家、1943-)の故郷・奈良にゆかりのある彫刻家の柳原義達先生(1910-2004、兵庫県出身で幼少期を奈良で過ごす)の展覧会が東京・銀座の現代彫刻センターで開催されました。そのときに父から「すばらしい展覧会になるだろうから見させていただいたら?」といわれ、生まれて初めて彫刻展へ行きました。

その日はちょうどオープニングで、会場は大勢の方々でひしめき合っていました。私はその雰囲気に圧倒されて、ずっとひとりで会場の端に立っていて、帰るタイミングも逃してしまって最後まで残っていたんですね。すると、先生から声をかけていただいて、私も自己紹介すると、「今日はありがとう。今度アトリエに遊びにいらっしゃい」と仰られて、私はそれを真に受けて、日を改めて世田谷のご自宅兼アトリエへ伺いました。先生は快く迎え入れてくださり、美術のすばらしさ、彫刻の厳しさなどをずっと熱心に話してくださいました。

それは彫刻家というよりも哲学者のようなお話で、私も興味津々にお聞きして、最後に高村光太郎の『ロダンの言葉抄』(岩波文庫)とロダンの画集をプレゼントしていただきました。それを抱えながら小田急線に乗って家路についたときにはもう夜になっていて、ふと電車の窓に映る自分の顔を見ると、とても高揚して紅くなっていたんです。おそらく柳原先生の人柄はもちろんのこと、何よりも彫刻そのものに恋をしたのだと、いまでも思います。

当時、私は大学の工学部へ進もうかと考えていましたが、「本当にそれでいいのか」という悩みも抱えていました。そういう折に柳原先生と出会い、それから1週間、10日間と思い悩み、考え尽くして、彫刻家になろうと決心しました。それできっかけをくれた父に「彫刻を学びたい」と話すと、父は「彫刻はやめておけ! 考え直せ!」というんですね(笑)。父も芸術で生活していくことの苦労を身をもって知っていますし、特に彫刻は素材の扱いから作品になるまで本当に大変ですから、親心から「やめておけ」といってくれたのだと思います。

それから美術の勉強をするために予備校に通い始めました。高校3年の秋ですから、他の人と比べるとスタートが遅いかも知れません。でも実は私、幼少期からゴルフにのめり込んでいて、大学へ進学するかプロゴルファーになるかも悩んでいたくらいで、とにかく毎日千球くらいボールを打っていたし、体力にも自信がある。ゴルフに限らず、どんなスポーツでも毎日の練習の積み重ねが基本で、それは彫刻でも同じなので、まずはデッサンなどの基礎の習練にのめり込み、結果、柳原先生が教鞭を取られていた日本大学芸術学部へ入学しました。

当時、柳原先生はもう退官されていましたが、そこで指導教官の土谷武先生(彫刻家、1926-2004)と出会いました。

絹谷幸太作品『理性の輝き2019』H5.5xW2.5xD2.5m
北野美術館 戸隠館(長野県)に設置したこの『理性の輝き』には、世界五大陸の花崗岩が用いられている(下段から、稲田石、中国産黒色花崗岩、インド産赤色花崗岩、ベトナム産黄色花崗岩、アフリカ産緑色花崗岩、カナダ産赤色花崗岩、ノルウェー産紺色花崗岩、オーストラリア産茶色花崗岩、アメリカ産白色花崗岩、ブラジル産青色花崗岩)。写真の積雪は約1.7mある


石の核心との対話を学ぶ

大学に入ると、まず塑像(粘土)、木彫、石彫、金属などの素材を学びますが、私は1年生から石を彫ることに決めました。すると土谷先生は、「ハンマー(せっとう)をコツコツ当てるのではなく、頭の上まで振り上げてしっかりと(ノミを)打て」と仰るんです。最初からうまく当たるわけないですよね。だからもう本当に野球のグローブのように手が腫れて(笑)。そうなると感覚がマヒして痛くなくなるんですよ。でもやっぱりもう打ちたくないから、軍手のなかに練り消しゴムをしのばせたりして、そうするとまた「何やってるんだ」と叱られて(笑)。

そうこうしているうちに、2週間も続けると、何となく彫れるようになるんですね。ゴルフも乗馬でもそうですが、最初は全身に力が入ってガチガチですが、そのうち力が抜けてくる。そういうコツがわかるようになる。

土谷先生の指導としては、ノミを寝かして小手先だけでトントンと彫ると、どうしても表面だけの仕事になってしまいますが、そうではなく、ノミの先を石のかたまりの中心部、石の核に向けて打ち、石と対話しながら石を彫れというのが意図だったのだと思います。そのおかげで、私は表面の美しさを追いかけるのではなく、その石、その石が持っている核心に向き合うことの大切さを教えられました。

大学に入って最初に彫った石は真鶴の小松石(神奈川県)だったのですが、私は石を彫りながらすぐに悩んでいました。まだ17歳の私が、何十万年、もっと古い石であれば何千万年、何億年も前にできた石とどう向き合えばいいのかと。17年、18年しか生きていない人間が果して石を彫っていいものなのかと。

その悩みはいまも私のなかにありますが、でも最初に土谷先生に教えられた、石の核心と対話するということからは、とても大きな気づきを与えられました。そして同時に、石をもっともっと知りたくなっていったのです。

また土谷先生はその頃、のちに恵比寿ガーデンプレイスに設置する作品(『握手をする人』稲田石、1994)をちょうど稲田石の丁場(茨城県)で制作されていたのですが、なぜかまだ1年生の私を稲田石の石切り場に連れて行ってくださいました。

そのご縁で、当時、稲田石を採掘していた中野組石材工業(株)の丁場の親方や職人さんなどと出会えたのも、その後の私にとってとても大きな財産になりました。

絹谷幸太今秋の展覧会のために「ノルウェージャンローズ」を彫り始めようとする絹谷氏(アトリエにて、2021年2月、編集部撮影)