特別企画
お墓や石について、さまざまな声をお届けします。
石からの刺激を楽しんでいる―現代美術作家 杉本博司
国内外に石のスパイがいる!?
――そもそも石を集め始めるようになったきっかけは何でしょうか?
杉本 この江之浦測候所をつくる構想は10年くらい前から持っていて、それに合わせて具体的に集め始めました。それまでも背の低い五輪塔など、マンションのベランダなどに置けるようなものは買っていましたが、でもあんまり買っても、石は保管に場所を取るしね(笑)。
それと石造美術品にもいろいろあって、「海の正倉院」といわれる沖ノ島(福岡県、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として2017年に世界遺産登録)からは国宝に指定された石造物がいっぱい発掘されましたが、その発掘調査以前から地元の某家に伝わる滑石(かっせき)の舟形の石造品(祭具)も持っています。
杉本氏所蔵の滑石舟形石造品
福岡県沖ノ島にて発掘
――「どこにどんな石がある」という情報はどうやって入手するのでしょう?
杉本 それはいろいろとお付き合いのある方がいらっしゃって、そのなかでも私の、何というか、スパイ活動をしてくださる方がね(笑)。私が本当にほしそうなものを、各地の骨董市などで押さえておいてくれるんですね。国内だけではなく海外にもいますから、そういう石のものにめぐり会う機会が多くなります。
――やっぱり石がお好きなんですね。
杉本 ええ、石造美術はとても好きです。
――なぜでしょうか?
杉本 石のほうが、ぼくを好きなのかな(笑)。だって石が集まってくるからね。
お付き合いのある石屋さんからも「引き取ってほしい」と頼まれることが時々あって、先日も江戸中期くらいの稲荷社のお宮を譲っていただいたり。それは笠から全部一石で彫ってあって、とても細かい仕事がなされている、なかなかのものですよ。
何でもその稲荷社は、東京の渋谷区にあるお寺の境内に祀られていたものらしいのですが、戦後の道路拡幅工事にぶつかってしまい、とりあえず石屋さんがお寺に頼まれて預かっていたらしいのです。でももう60年以上も前のことで、住職も代替わりして、当時のことまで把握されていない。それで処分する話になったそうなんですが、石屋さんも処分しきれずに私のところへ相談に来て、「では、ウチで引き取りましょう」となったんです。
江之浦測候所「細見古香庵収集 石仏群」の1体
室町―江戸時代
写真2点:江之浦測候所には杉本氏が収集する鎌倉時代以降の石仏が多数置かれている
――石造品は何点くらいお持ちですか?
杉本 何点だろう。来るものは拒まずですからね(笑)。最近来たものは、古墳の石棺の蓋石(ふたいし)。4分の1くらい欠けていますが、装飾突起が施されていて、古墳時代には珍しく花崗岩系の硬い石でつくられています。これもまた、いずれどこかに使おうと考えています。
法隆寺の若草伽藍の礎石もすばらしいものですが、まさかそんなものが残っているなんて信じられない話ですから、もう私が購入したというよりは、やっぱり向こうから来ていただいたという感覚です。
それと江之浦測候所には新たに神社(春日社)をつくっています。これも石が主体です。
江之浦測候所「法隆寺 若草伽藍礎石」
飛鳥時代
――この時代に神社ってつくれるものなんですね(笑)。
杉本 はい。奈良の圓成寺(えんじょうじ)に国宝に指定されている小ぶりな春日造りの社殿(「春日堂・白山堂」)があって、それは安貞2年(1228)に春日社(春日大社、奈良県)の式年造替(しきねんぞうたい)のときに圓成寺に下賜されたもので、日本最古の春日造りの社殿です。それはとてもすばらしい古様の建築で、それを写してつくっています。
また、ここには“春日社の御旅所(おたびしょ)”という意味も持たせます。春日社は奈良時代に香取神宮(千葉県)と鹿島神宮(茨城県)から御霊を呼び寄せていますが、そのときに御神体は鹿に乗り、雲に乗って、奈良へ向かったとされています。その経路を直線で結ぶと、ちょうどこの上空を通っている。だから、そのときにこの地でお休みになったと考えてもいい。
そして、この春日社にも実は石屋さんが関係していて、灯籠と鳥居、基壇の石積みはある事情で存続できなくなった神社から来たもの。そういうご縁が石にはありますね。
江之浦測候所「内山永久寺十三重塔」
鎌倉時代