特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

癒しの空間として、作品は道祖神みたいにどんどん置きたい―彫刻家 田中毅

2021.09.16

みんな一生懸命に生きている
――よく聞かれると思いますが、作品は妖精なのか、動物なのか、虫なのか、実はなんでしょうか?
田中 なんだろう(笑)。

「こういうのがいたら、おもしろいんじゃないかな」というものを勝手に考えているというか。虫みたいでも、実はあまり6本足のものはつくらないです。ごちゃごちゃしちゃうし、それに実際の虫は、そのままつくるととても怖くなります。やっぱり、獲物を狙う目をしてるんですね。それは動物でもそうだけど、よく見ると、怖い目をしてますよ。

でも、だからといって、そういうものをかわいくつくると、ただ単にかわいいだけのものになる。他になにもおもしろみがなくて、そういうものはつくりたくないなと思っています。前に作品を置いたある施設の人に「田中さんの作品は怖く見えるときがありますね」といわれたんですけど、「たぶんそうでしょう。そのときの体調や気分によって、怖く見えるときがあると思いますよ」と話しました。

そういう虫とか動物とか、人間もつくりますけど、みんな一生懸命生きているんだってことを表現したいと思っています。だから、そういうふうに作品が語ってくれたら、それはしめたもの(笑)。

――動物でもリアルにつくる作風とは違うし、もう“田中毅ワールド”が出来ていますよね。そもそも、どうやって生まれたものですか?
田中 最初は違ったんです。だんだんそうなってきたという感じ。

高校2年の夏に、勉強はダメだったから、美術部に入ったんです。もともと円空(江戸時代前期の木食僧、仏師、歌人。特に「円空仏」といわれる木彫の仏像が有名)とかジョアン・ミロ(20世紀のスペインの画家)が好きで、でも「これを見てると、オレの作品に影響を与える」と思って一時期は見ないようにして。それも最初は油絵だったんですが、美術部のみんながうまいから「これはダメだ」と思って、彫刻は誰もやってなかったから「彫刻にしよう」と(笑)。なにかで一番になれるものを探していたんですね。

でも石は、もともとなぜか好きだったみたいなんです。

高校3年のときに、流政之(彫刻家、1923―2018年)や志水晴児(彫刻家、1928―2005年)の作品が新聞に載るとスクラップしていて、影響を受けるというか、「こんなすごい仕事をできたらいいな」と思っていました。

でも大学2年までは木彫で、3年の途中で石に転向したんです。当時の芸大で、途中で素材を変えると、なんか白い目で見られるんですよね。だからなかなか石に入り込めないでいたんだけど、やっぱり好きだから、そこはもう無理やりというか、思い切って入り込んでいったという感じで(笑)。


彫刻家・田中毅
彫刻家・田中毅東京・中野の土日画廊では2020年9月24日から10月11日まで開催された「田中毅石彫展」。土日画廊や前掲のGALLERYエクリュの森では継続的に田中毅さんの個展を開き、楽しみにしている地元ファンも多い。土日画廊は2階建ての民家を利用した趣きのある空間が魅力で、田中さんの作品にもぴったり。近くには「たきび」のうた発祥の地もある

彫刻家・田中毅作品「古城の杜」/ 作品「どんと来い!」
黒みかげ