特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

癒しの空間として、作品は道祖神みたいにどんどん置きたい―彫刻家 田中毅

2021.09.16


彫刻家・田中毅作品「石彫の虫」黒みかげ
(日本橋高島屋の個展にて)


威厳ある彫刻より、心の晴れる彫刻を

――最終的に「やっぱり石」と決めたのはなぜですか?
田中 性格に合っていたんでしょうね。

それも大理石ではダメなんです。ミカゲ(花崗岩)はノミを打つと跳ね返って来ますが、大理石はズズズズッて彫る感じ。ミカゲは跳ね返りを感じながら、叩いて割っていくように彫るから、それがなんていうか、自分にとっては悩みが解消されるような感じで、うん、心が晴れるんです。テレビでも街頭とかでヘルメットをかぶって叩かせる番組があったでしょう。あれ、うっぷんが晴れるでしょう。もぐら叩きとかも。それと同じかな(笑)。

それでも芸大では、「彫刻はこうつくらないといかん」とか、具象といえば人物像で、それも「ちゃんと足がないといかん」「5本指じゃないといかん」と、そういう世界だったんです。でもボクはそういう威厳のある彫刻ではなく、かえって全然威厳がなくて、ただ見ただけで顔がほころぶとか、なんかひっぱたきたくなるような(笑)、そういう彫刻のほうが、普通の人は心が晴れるんじゃないかと思ったんです。

ちょうど高度経済成長期でサラリーマンも忙しくて、心に余裕のないような時代だったので、ボクがつくった彫刻にちょっとでも目を留めさせたいなと。

――いい話ですね。それが田中さんの彫刻の原点といえますか?
田中 だんだんと思ったんですよね。

大学1年か、2年のときに、大分の国東半島をひとりで旅したんです。1日に2往復くらいしか走らない路線バスの午後の便に乗って、帰りはまた同じバスに乗らないといけなかったんだけど、その行きのバスが急に停車したんです。乗客も数人だけなんですけど、停留所じゃないところでバスが停まって、当時はまだ路線バスでもバスガイドさんが乗っていて、「ここの花もようやくきれいに咲きましたね」って。花を見るためだけに停車したんですね(笑)。

「これはすごい。時間なんて関係ないんだ」
「心に余裕があるというのはいいな」
と、そのときに思いました。

それで熊野磨崖仏を見に行ったらおばあちゃんに話しかけられて、これがなかなか抜け出せない(笑)。結局帰りのバスに間に合わなくなって、たまたま通りがかったタクシーで近くの駅まで戻ったんですけど、そんなのんびりした旅のなかで見た路傍の石仏が、またとてもよかったんです。当時は本当に秘境のようなところで、田んぼの忙しいときやら、みんながその石仏のまわりで休憩して、お茶を飲んだりして。そういう癒しの空間になっているのがいいなと。

だから、ボクの作品は全部、全国あちこちの田んぼの角とか、そういうところに道祖神みたいにどんどん置きたいなと思いました。それはいまでも変わらない思いですね。


彫刻家・田中毅日本橋高島屋の個展にて

彫刻家・田中毅東京・日本橋高島屋S.C.本館6階美術彫刻コーナーでは2020年7月29日から8月18日まで「Sculpture Selection:田中毅」が開かれた。下段写真の左は作品「ロビンの杜の守護神」、右は作品「童灯籠」。日本橋高島屋でも継続的に田中毅さんの展覧会を開催している



彫刻家・田中毅上2点は田中毅さんが暮らし、アトリエもある埼玉県川越市内に設置されている作品。左は「豆地蔵」、右は「おかわり」(川越幸すし)。蔵づくりの歴史的な町並みが残る川越市内には、飲食店や学校、幼稚園、病院、企業などに10点を超える田中さんの作品が設置されている。その姿は、まさに町の辻々に佇む「道祖神」のようで、そこに暮らす人々、町ゆく人々を癒し続ける(本インタビュー・トップ画像の作品「うんとんちゃん」も同じ)