特別企画
お墓や石について、さまざまな声をお届けします。
作品が誰かを勇気づけ、前向きにできれば、とてもうれしい―望月正幸氏
電動工具の振動と音に感動
「やるなら、いましかない!」
――事故に遭ったことで、「石屋になる」という気持ちに変わりはありませんでしたか?
望月 なかったです。入院中も先生や患者仲間などに「退院したら何をしたい?」と聞かれると、「家が石屋だから、石で何かしたい」と答えていました。でもそういうと、ほとんどの人が急に真顔になって、「現実を考えなさい」「無理に決まっているでしょう」というんです。それだけ体が動かないし、現実味のない話だったんだと思いますが、それが悔しくて。
それで8月に退院して、石屋といっても墓石の仕事がメインなので、「そのなかで自分に何ができるだろう」と親父に相談して墓石用CAD(内田洋行ITソリューションズ=当時・ウチダユニコム製「MICS」)を導入したので、まずはそれまでにずい分たまっていた手描き図面をデータ化する手伝いを始めました。指が動かないので、ウチダユニコムの担当者にボール状のマウスを用意していただき、親切に操作を教えてもらいながら、「こんな俺にもできるんだ、役に立てるんだ!」と、ずっと入院していたので水を得た魚のように楽しかったです。
でも、やはり石屋なので「石に触りたい」と考えました。これは事故とは関係なく、親父を見ていてもずっと疑問に思っていたことですが、「どうして暇なときに石を彫って石像などをつくらないのか」と。彫ったものを外に置いておくだけでも、子どもたちやベビーカーに赤ちゃんを乗せたお母さんなどが、「かわいいね」「これは何かな?」と見ていきます。そうやって楽しんでもらえるだけでもいいし、そこから何かの仕事につながるかも知れないですからね。
それで翌年の3月頃に、まだ健在だった父に「俺にサンダーは使えないかな」と相談しました。基本的な使い方は習っていて、でも手で持つことができないので、手に持つようにガムテープでぐるぐる巻きにして固定してもらい、自分では電源も入れられなかったからスイッチをオンにしてもらったら、当たり前ですけど、「ガガガガーッ!」と動き始めて、「ああ、そうだ、この音、この振動だ!」と(笑)。
それで、まずは石を擦(=こす)る(研磨)ことから始めました。表面の粗い石を一通りから擦ってから親父に見てもらい、また表面を荒してもらって、それを擦るということを繰り返していました。病院の近くのホームセンターで金具を買ってきて、電動工具を持てるように工夫して金具を取り付けたり、自分で電源を入れられるようにスイッチを交換してもらったり。
――「この振動だ!」という、そのときの感動がいまにつながっているんでしょうね。先代も喜ばれていたのではないですか?
望月 うーん、喧嘩ばかりでした(笑)。最初だけ協力的で、「もっとできることはないか」というと、「もう危ないからやめておけ」とよくいわれました。同じ年の4月に親父が入院したので、「これはチャンスだな」と(笑)。でも5月にガンの手術をして、6月には退院することになり、帰って来たらまた文句をいわれるから、「やるなら、いましかない!」と。弟に頼んで電動工具を自分で持てるように金具を取り付けてもらったのもその頃です。
確かに親父からすれば、車椅子で、指も、腕も思うように動かせないのに、電動工具を使うのは危険だし、自分でもラグビーをしていた頃は10キロなんて軽いものでしたが、事故の後は自分の腕の重さに驚くくらいで、電動工具もとても重く感じました。でも危なければ気を付ければいいし、もっと危ないなら、もっともっと気を付ければいい。それより何より少しずつでも、「やるなら、いましかないんだ!」という気持ちのほうが強かったです。
それで10月頃に、いつものように石を擦っているときに手を滑らせてサンダーを落としてしまったんですが、そのときに母に「今度はお地蔵さんでもつくってみれば? 擦るより削ったほうが、あんたには合っているから」といわれ、削る作業(彫刻)を始めました。
車椅子に乗って石を切削する正幸さん
正幸さんの電動工具。不自由な手でも極力安定して使えるよう金具を取り付けて改良し、スイッチも自分で操作できるものに交換している