特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

マエストロが奏でる心の音色―彫刻家 安田侃

2024.06.28


彫刻家 安田侃 「彫刻の道」展
ミラノ(イタリア)
1991年
《真夢》 白大理石
photography by Romano Cagnoni

彫刻家 安田侃左:同展 《意心帰》 白大理石
photography by Romano Cagnoni

右:同展 《妙夢》 白大理石
photography by Kozo Watabiki




―最初に「人の運命はわからない」というように、現在、世界の彫刻界で確固たる地位を築いた安田侃氏からは想像できない話に驚かされます。しかし、一つひとつの出来事や出会いは単なる偶然ではなく、まさに運命に導かれた必然であったようにも感じられます。安田侃氏は北海道で、また東京で彫刻を学びながら、精力的に作品を制作・発表され、次第にその意識は彫刻の本場イタリアへと向いていきます―


イタリアで石の美しさに感動

安田侃 大学院(舟越保武教室)を修了すると、1年ほど大学院の副手を務めながら粘土でトルソ(胴体)などの具象作品をつくっていましたが、25歳のときにイタリア政府に招かれてイタリアへ留学しました(1970年)。ローマに暮らし、ローマ・アカデミア美術学校に通いましたが、まさに大理石とトラバーチンでできているといっても過言ではないローマにいると、すぐに石の存在感に感動させられました。街中が石で、教会へ行っても石、そしてミケランジェロ(1475―1564年、彫刻家、『ロンダニーニのピエタ』や『ダヴィデ像』等)の作品をはじめ、数々の石の美しい彫刻が街を飾る。当時はまだ粘土の作品をつくっていましたが、「石で彫刻をつくるのはすごいな」と感化され始めました。

特にぼくはずっと具象彫刻をつくっていましたが、日本には石の具象彫刻はほとんどないに等しいといえます。しかし、イタリアへ行くと、古代ギリシア時代や古代ローマ時代、またバロック時代(17世紀初―18世紀中頃)につくられたものなど、すべて具象彫刻が街や美術館を彩っている。そうした大理石彫刻の最高傑作がイタリア各地で身近なところに多数あり、「なんだこれは! これが大理石の美しさか」と大きな感動を受けたのです。

それで留学から2年になる頃(1972年)、アカデミアのペリクレ・ファッツィーニ教授に「石を彫ってみたいのです」と相談すると、教授は「大理石を彫るのならきちんと習いなさい」といって、ローマにいる友人の石屋さんの親方を紹介してくれました。その石屋さんを訪ねていくと、いわゆるお墓をつくる石屋さんで、イタリアで「石屋」「石職人」というと、お墓をつくる人、つまりお墓を飾るキリスト像やマリア像、また故人のレリーフなどを彫る職人さんのことをいいます。だからイタリアの石屋さんはみんな、彫刻家なんですね。

それから約3年間、その石屋さんの工房の片隅で、小さな大理石のかたまりをもらって顔などの摸刻を彫っていました。午前中はアカデミアで講義を受けて、午後は石屋の親方のもとに通って、ただ黙々と彫っているのですが、大理石は石そのものがきれいで、彫った欠けらや粉までもきれい。それにその工房はカラカラ浴場(古代ローマの公衆浴場)の前にある、もとは2世紀につくられた石づくりの教会なんです。そういう環境で石を彫れたのは楽しかったですね。

でも3年間通っても、技術的にはまだ何も彫れないのと一緒。摸刻には星取り機(コンパス)を使いますが、それを覚えるだけでも何年もかかりますし、親方も手取り足取りなんて教えてくれませんからね。でもだんだんと、確実に石を好きになっていました。



アーティストと職人

安田侃 そもそもイタリアの美術学校(=アカデミア、日本の美術大学に相当)は国立で、私立学校はほとんどなく、各州(日本の都道府県)に一校だけつくれるのが基本です。でもトスカーナ州は例外で、フィレンツェに一校ある他に、大理石の産地・カッラーラにも設立されています。それは世界で唯一、大理石彫刻を教えるためにつくられた学校です。また同じくトスカーナ州の大理石の産地・ピエトラサンタには、彫刻等を教える美術高校があり、そこはヨーロッパで一番古い美術高校といわれています。ミケランジェロが大理石を求めに来たように、いまも世界中から石の彫刻を習いに、若者がピエトラサンタやカッラーラに集まって来ます。

日本のように美術・芸術系の予備校や専門学校、高校、大学が多数あるのは、世界でも類がないのではないかと思います。環境が整い、何から何まで教えてもらえるのは最高です。でもそれがかえって、息苦しさのようなものを生んでいるのではないかとも感じます。

前に少し触れましたが、日本の彫刻の授業では伝統的に〈型〉の習得から入ります。アーティストになるために、みんなと同じものをつくるための技術を学ぶことから始めます。

でもイタリアでは、あるいはそれ以外の国でも、アーティストは他人とまったく違うものをつくらないと相手にされません。才能のある人は、誰かに習わなくても才能が芽吹くのです。それをいかに伸ばすかが大切なのであって、一生懸命に努力して、「正確な直角を出せるようにならないとダメ」とは、イタリアでは考えません。その違いは面白いですね。

もちろんイタリアでも、彫刻を手がける石の職人さんは、そっくり同じにつくることのできる技術がないと仕事になりません。それは決して間違えてはいけないことで、誰かにお金をいただけるだけの一人前の職人になるには、最低でも15年はかかると考えています。だからみんな、14歳、15歳から石の職人を目指して修業に入り、技術の習得に励みます。

つまり、職人とアーティストとは本来まったく別の存在なのです。だから、アーティスト崩れが職人になれるかというと、絶対になれません。若いときから努力して、技術を習得して職人になるのです。そういう意味で、日本の美術大学において石で豆腐をつくるのは、職人になるための訓練といえます。それが伝統として、日本では重視され続けていると感じます。

アーティストはあくまでも自分自身で新しいものを生み出さなければいけません。そのためには当然、技術も必要ですが、いままでにないものをつくるのだから、そのための技術も新たに考えなければならないはずです。

その見本がミケランジェロです。イタリアで石の彫刻をつくっていると、常にミケランジェロが身近にいるから、ぼくがいくら頑張っても、「KAN(安田侃氏のこと)、あれを見よ。彼こそが本物のアーティストである」といわれると、「ハハー! 仰るとおりでございます」というしかない(笑)。それはね、なかなか超えることのできない偉大な存在ですよ。



彫刻家 安田侃《妙夢》 白大理石
ピエトラサンタ駅前(イタリア)

 

ピエトラサンタで本格始動

安田侃 ローマの石屋さんに通っていると、ときどき親方がカッラーラやピエトラサンタに大理石の原石を買い付けに行っていました。それでぼくも石切場の存在を知り、憧れのようなものを持つようになるのですが、あるとき、原石を買いに行った親方がピエトラサンタで交通事故に遭って亡くなります。その影響で工房も閉めることになり、ぼくはもっと大理石の彫刻を探究したくて、ピエトラサンタへ工房を探しに行きました(1974年)。

ピエトラサンタからカッラーラまでの約25キロにわたって、100軒から200軒の石屋さんが立ち並んでいます。その背後には壮大な大理石の石切場が構えていて、彫刻の工房もあれば、建築の工場、お墓の石屋さんなどがあり、世界中からも石が集まり、トップクラスの技術も集積していて、著名なアーキテクト(建築家)たちが石を求めてやって来る街です。世のなかを動かしているのは世界中にビルを建てている建築家で、ぼくは彫刻家だから邪魔なくらい(笑)。

その数ある工房のなかで、イサム・ノグチ先生(彫刻家、1904―1988年)の大理石彫刻の制作を18年間手伝った石職人ジョルジョ・アンジェリ氏の工房(ピエトラサンタの隣町クエルチェタにある)を訪ねると、快く受け入れてくれました。以来ジョルジョ親方はもう48年(*2022年当時)、ずっとぼくの彫刻を手伝ってくれています。ぼくは1986年にローマからピエトラサンタに移り住み、アトリエも構えて、いまは日本とイタリアとでは半々くらい。彫刻制作の拠点はイタリアです。