特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

マエストロが奏でる心の音色―彫刻家 安田侃

2024.06.28


彫刻家 安田侃巨大な大理石に向き合う安田侃氏。「4メートルの大きさの彫刻でも最後に数ミリ足りなければ、あるいは少しでも歪んでいたら、最初から全部彫り直す」というほどの緊張感で石を彫る
photography by Stefano Baroni


彫刻家 安田侃photography by Stefano Baroni



ミリ単位の精度の作品制作

安田侃 もちろん、ぼくはいまでも自分で石を彫っています。それは当たり前!(笑) 今回も日本に来る直前まで彫っていたからね。

ぼくが石を彫るときは、作家ではなく一労働者のように、朝8時から夕方6時までの決められた時間に、職人さんたちと一緒に同じように仕事をしています。それが彫刻の現場です。

作業中は作家らしい考えや感覚がほんの少しチラッと出るくらいで、常に作業に集中しています。石を彫刻する、モノづくりの現場というのは、ほんの少しの気のゆるみでも絶対にケガをします。だから作家らしい考えが出ても、それを追求している余裕はありません。

技術的にも、本物の職人には及びませんが、それに近いレベルにはあるので、職人さんにも認めてもらえていますし、また逆に、ぼくがいると嫌がりますね。彼らがやっていることを、ぼくはわかってしまうから。だけど、職人は無心になって作家の手にならなければいけません。作家は横にいて、暗黙のうちに、彼らを自分の思うように動かしているわけで、それができるようになると、作品の質も上がります。

作家は形を生んで決めるまでに、膨大な時間を費やして精神的な物事に向き合い、解決していかなければいけません。そして工房という制作現場は、その彫刻をリアルにつくり上げていくための蓄積の場であり、完成に向けて淡々と作業を進めていくのみです。

自然のなかにある川石のように、「石は何も手を加えないほうがいい」ともいわれます。しかし、ぼくらは岩盤から四角く切り出された石のかたまりに手を加え、新しいものを生み出しています。ミケランジェロは原石を見て、そのなかにあるものを見抜き、不要な部分を取り除いて形を彫り出したわけですが、ぼくらはつくろうと思ったものを彫るのです。それがミケランジェロとの圧倒的な違いで、方向転換できない部分。単純にいえば、4メートルの大きさの彫刻でも最後に数ミリ足りなければ、あるいは曲線が少しでも歪んでいたら、最初から全部彫り直して、全体をおさめなくてはいけない。そういう緊張感のある仕事により、ぼくは彫刻を追求しています。

だから「KANの彫刻はとても困難だ」といわれます。ぼくは職人さんにも、それだけの技術と根気、また「絶対に間違えずに彫る」という気概を求めています。ジョルジョ親方の工房は「よし、見ていろ」というプロ意識の高い職人ばかりなので助けられています。

そういう意味で、ぼくの彫刻は絶対に真似してつくれません。簡単な形に見えるかも知れませんが、すべてミリ単位で合わせていますから真似することは不可能で、実際に摸刻品も出ていますが、見ればすぐにわかります。



彫刻家 安田侃「現代の神話」展
タオルミーナ(イタリア)
2011-12年
《意心帰》 ホワイトブロンズ



―安田侃氏の凄さは、いくつもの世界遺産を会場として展覧会を開催していることでも如実にわかります。古代の遺跡と現代の彫刻、あるいは人々の営みが幾重にも刻み込まれた空間と、なめらかな表情の石の彫刻。本来、相反するものに思われますが、なぜか渾然一体となりながら、その彫刻が人々の心に寄り添い、語りかけてくるような不思議な感覚に陥ります。それは確かに、神の声に耳を傾けるからこそ奏でられる、人々の心の奥底にしみわたる、やさしくてあたたかな音色のようです。だからこそ、現代社会の近代的な都市の風景にもとけ込んで、人々がその彫刻に集うのです。
貴重な話は最後に、石、地球、そして人類のいまと未来への思いにまで及びました―


石への思いと、マエストロのまなざし

安田侃 これまでにお話したように、ぼくはイタリアで大理石の美しさに惹かれて石の彫刻を始めました。ですから、いまでもずっと白い大理石が好きです。無表情に見えますが、陰影ができるのも、ぼくには魅力なのかも知れません。あとは黒みかげ石もいいですね。

他にもいい石はいっぱいありますが、あまりきれいな色のある石を使うと、みんな石を褒めるんです。「あら、石がきれいね」といって、一番肝心な形が飛んでしまうのが、ぼくにはとても残念なことです。



彫刻家 安田侃《天聖》《天□》 白大理石
ガラチーコ カナリア諸島(スペイン)
□は氵+禾




いままでいろいろな場所に作品が設置されていますが、ぼくが重視するのは、作品の向きや角度などではなく、その彫刻がその空間で生きていけるかどうかということ。彫刻は呼吸をしています。その土地の空気を、その石が吸えるかどうか。

石は、地球そのものです。ぼくはよくピエトラサンタやカッラーラの標高1,000メートルを超える山の石切場にジープで上がり、大理石の岩盤を見ています。そうして、石から地球、そして宇宙を感じています。大理石はかつて、何十億年も前に海の底で息づき、それが地殻変動で隆起して、いま目の前にあるわけです。花崗岩やその他の石も、やはり地球そのものです。

宇宙に浮かび漂うこの地球を、核として支えているのは、間違いなく石であると考えます。そのうえに人間が誕生し、進化・発展してきたわけで、そのスケールで考えれば民族の違いも、宗教の違いも大きな問題ではありません。国や信仰、また性別も超えて、人々を、地球を核として結びつけるのが石なのかも知れない。悲惨な戦争が起きているいま、そのことの意味の深さを改めて考えています。

もう一度、人類全体が自分たちの起源を見つめ直し、存在意義を問い直す時代になっているのは確かです。

彫刻は紀元前から存在し、古代ギリシア・ローマ時代から、中世、ルネッサンス、バロック、近代、現代へと、その時代時代を反映、表現して、人々に感動を与えながら息づいてきました。現代は、その長い彫刻史への入り口さえ見つからず模索が続いています。

地球の核である石を使って、いまを生きる人類が、何を未来に残そうとしているのか。

21世紀は平和な時代になると思っていましたが、戦争や災害、コロナ禍など、悲しい出来事がたくさん起きています。この時代に求められる彫刻とは何か。彫刻家として考えていますが、私はまだ見つけられていません。



彫刻家 安田侃photography by Roberto Merlo

写真上・下:大理石の石切場(カッラーラ/ピエトラサンタ)
壮大な大理石石切場の風景。安田侃氏は「石から地球、そして宇宙を感じる。国や信仰、また性別も超えて、人々を、地球を核として結びつけるのが石なのかも知れない」と語る

彫刻家 安田侃photography by Erio Forli




彫刻家 安田侃photography by Nicola Gnesi



安田侃氏プロフィール(次ページ)

◎安田侃氏公式ウェブサイト
http://www.kan-yasuda.co.jp


・写真家名を明記していない写真は、いずれもタック有限会社の提供です。
・このインタビュー取材は彫刻家・広井力先生(1925-2022年)のお力添えで実現いたしました。心より御礼を申し上げます。
(聞き手=編集部・安田寛)

出典:『月刊石材』2022年5月号