特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

マエストロが奏でる心の音色―彫刻家 安田侃

2024.06.28


彫刻家 安田侃「街における彫刻」展 / フィレンツェ(イタリア) / 2000年

左:《真無》 白大理石
photography by Benvenuto Saba

右:《天聖》《天□》 白大理石
photography by Danilo Cedrone
□は氵+禾




―今回の取材にあたり、安田侃氏からいただいた書籍(『安田侃―天にむすび、地をつくる』久米淳之著、北海道新聞社/『安田侃、魂の彫刻家』彩草じん子著、集英社)を見ると、イタリアに渡った安田侃氏はミケランジェロの未完の作品『ロンダニーニのピエタ』と対峙したときに、「精神だけを形にする彫刻に強い衝撃と感動を受けた」と話し、それがその後の自身の彫刻に影響を与えたともいいます。
では、安田侃氏の彫刻の形は、どこから生まれるのでしょうか? 以下は作家として生み出すことの苦悩さえも感じられる話です―


声なき声

安田侃 自分でも正確な数は把握できていませんが、たくさんの彫刻をつくってきました(そのうちの数十点が世界のパブリックスペースに設置されている)。というと、よく「形はどこからやって来る?」と聞かれますが、ぼくは決まって「宅急便で届けてもらってる」と答えています(笑)。本当にこればかりは、どこから来るのかわからない。

確かなことは、誰かが意図を持ってつくろうとしてつくったものは、どういう考えでつくったのか、それがどこから来た形なのか、そういうことがすぐバレます。そうではなく、みなさんに感動や驚きを与えられるのは、それがこの世ではじめて生まれた形だからです。コピーではなくオリジナルであり、なおかつ普遍的な要素を持った形であれば未来へ残されるし、それがなければ消えてなくなるだけです。

50年、石に向き合っているうちに、ぼくがだんだんとわかってきたのは、ぼくは代弁者なのであろうということです。代弁者というのは本来、ぼくが考えた形をつくっているのではなく、誰かの考えを受けて、それに手を貸しているという意味で、それがぼくの役割なのではないかと気づき始めました。

「では、それは誰の考えで、どこに隠れているのか」という質問を受けるとすれば、隠れているのは地上ではなく、(天に指をさして)上に隠れているんです。この存在がときどきぼくに、「こんなものをつくったら?」と声をかけてくる。そして、その声を一生のうちに何度聞けるかどうかが非常に重要な問題です。

という考えのもとに、ぼくはいつも何もせずにただじーっとアトリエに座ってね(笑)。というのは冗談で、その声はいつ降りて来るか、もう聞こえるかと待っていても、なかなか聞こえるものではありません。実はぼくもずい分と長いこと、ずっと耳を傾けています。でも、聞こえない。やっぱり、邪心だらけになるとダメなのかな(笑)。

本当はみんなにも、その声は届いているはずです。無心で、ピュアに、自分の心と向き合うことができれば、きっと聞こえます。その声は、もしかすると天からではなく、自分の心のうちにあるものなのかも知れません。



彫刻家 安田侃 《天□》《天聖》 白大理石
安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
(北海道美唄市)
□は氵+禾




石を彫っていると心が見える

安田侃 「アルテピアッツァ美唄」では、一般の方々を対象に大理石を彫刻する〝こころを彫る授業〟を実施しています。原則、毎月第一土曜・日曜に開催していますが、大人から子どもまで多くの方々が参加されています。

〈こころを彫る〉とは、他人の心ではなく、あくまでも〈自分の心を彫る〉という意味です。ぼくは、石と向き合うということは、自分自身の心と向き合うのと同じだと思っています。だから、無心になって石に触れながら、その石のなかに自分の心を見出せるか、どうか。もちろん、見えない人、感じない人もいて、そういう人にとっては、いくらじっと見ていても、石はただの石ころです。それはその人の生き方だから仕方なく、何も否定はしません。

でも無心で石に接していると、自分の心がチラッと見えたり、感じたりする人が必ずいらっしゃいます。そうなるとみんな、石にはまるんですね。石が好きになり、石を彫ることがもう楽しくて仕方なくなる。だから〈こころを彫る授業〉には何年も通われている方もいます。

石を彫っていると、自分の心が見えるのです。石が心を反映するのでしょうか。不思議ですが、石にはそういう力があるようです。



彫刻家 安田侃《天聖》 白大理石

彫刻家 安田侃《真無》 白大理石

彫刻家 安田侃ギャラリー

彫刻家 安田侃こころを彫る授業

彫刻家 安田侃こころを彫る授業の参加者の作品
いずれも安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄



安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
安田侃氏が故郷の北海道美唄市にオープンした美術館。閉校になった小学校を改修し、ギャラリー、アートスペース、体験工房、カフェ、広場等を設ける。安田侃氏の彫刻作品の展示の他、大理石を使用する「こころを彫る授業」などのイベント等も開催する。

https://www.artepiazza.jp



モニュマン 心を映す彫刻を

安田侃 いまでも忘れられない光景の一つに、結核で亡くなられた方々のためにつくった洞爺湖の《回生》というモニュマン(慰霊碑)の除幕式があります。彫刻に被せられていた布が外されると、身内の方々が一斉に彫刻にかけよって撫でたり、泣きながら頬ずりしたりなさったんです。《回生》は結核で亡くなられた方々のモニュマンです。石のなかに何かかけがえのないものを感じ取って、触れることで確かめようとなさっていたのかも知れません。

この経験が触れることのできる彫刻をつくる原点になりました。

その後、有珠山の噴火の泥流の犠牲になった子どもとお母さんのためのモニュマンをつくらせていただいたときには、触れるだけでなく、彫刻のうえに登って遊べるようなものをつくろうと思いました。子どもたちが遊ぶことで、泥流に流され、いまも地下に眠る子どもがさみしくないようにと念じました。

このようにしてできた《意心帰》という作品はいま、洞爺湖だけでなく、世界のあちらこちらに設置されて、どこの国でも子どもだけでなく、大人も触ったり、よじ登ったりしています。そうすることで、自分の心の声を聞こうとしているのかもしれません。

外国の方から《意心帰》の名前の意味を説明してほしいと尋ねられると、「心は形を求め、形は心を求める」と答えます。彫刻が何かを主張するのではなく、見る人の心を映しながら生き続けてくれたら嬉しいですね。



彫刻家 安田侃《回生》 白大理石
洞爺湖畔
photography by Kozo Watabiki

彫刻家 安田侃《意心帰》 白大理石
洞爺湖畔
photography by Kozo Watabiki