特別企画
お墓や石について、さまざまな声をお届けします。
常に新しい感動を求めて石と向かい合う―彫刻家・画家 武藤順九
京都のアトリエにて(当時、編集部撮影)
●インタビュー/「月刊石材」2019年7月号掲載
常に新しい感動を求めて石と向かい合う
彫刻家・画家 武藤順九
“美の女神”に恋をして
――世界で活躍されていて、普段はイタリアで生活(創作)されていらっしゃるのですね。
武藤順九(以下=武藤) いまは日本が少し長くなりましたけど、もう46年イタリアで暮らしています。いままでは日本で展覧会などがあるときにひょっこり帰ってきていたんですが、最近は京都のアトリエにいることも多くなりましたよ。
――どうして彫刻家になられたのですか?
武藤 そう聞かれると困っちゃうけど、やっぱりつくりたかったんでしょうね。私は絵も描くし、墨絵もやりますし、あとは「石彩(せきさい)」と呼んでいますが、石に絵を描くという私だけのジャンルがあってね。うん、いろいろなことをやりながら遊んでいるんです(笑)。だから、特別に「彫刻家」という“職業意識”を持っているわけではありません。石を彫ったり、キャンバスや石に絵を描いて、自分の表現したいものをつくり続けているだけです。
日本人は「彫刻家」や「画家」といって、みんなジャンル分けしてしまいますね。彫刻でも現代的とか伝統的とか。でもそういうのは皆さんの勝手で、私は「自分が何を表現したいか」ということを追ってきました。その素材がときには石になり、ときにはキャンバスに絵を描いたり。まあ、何にでも描いちゃうんだよな。恥もいっぱいかくしね(笑)。
でもそれが、私の基本的姿勢なんだな。職業があって、その職業を選んだというのではなくて、芸術に恋をしちゃったんだね。一人の男性が一人の女性に恋をするのと一緒で、いつの間にか“美の女神”に恋をした(笑)。たまたまそれが職業になったというだけで、それを皆さんが「芸術家」とか、「彫刻家」「絵描き」と呼んでいるけど、私からするとそんなことはあまり関係ないことだな。
作品「シリーズ/記憶の一片 -太古の空-」
(H.23×L.28×S.2㎝、2003年、石彩作品)
――大学は東京藝術大学へ進まれましたが、少年期からつくることが好きだったんですか?
武藤 そうですね。やっぱり芸術が好きだったんです。でも、どういうジャンルを選択するかというのは、自分でもまだその時点では全然わかっていませんでしたね。
私が卒業したのは東京藝術大学の美術学部工芸科で、工芸というのは、いわゆるクラフトデザインとか、インダストリアルデザインなどを含み、染織や彫金(ちょうきん)、陶芸などを学びました。いま考えると、それはとてもラッキーでしたね。なぜなら、インダストリアルデザインのモデルづくりなど、立体的な表現を学び、またポスターなどの平面デザインも学べたからです。立体・平面を関係なく学んだというのは、今日、彫刻をつくったり、絵を描いたりする一番の基礎を学んだといえます。別にデザイナーになるつもりはなかったんだけどね(笑)。
そして大学を卒業して就職しようというときに、「本当にオレはこれでいいのだろうか」と、自分に対する疑問が生まれたんだな。どこかの会社のデザイナーになれば、お給料をもらえて生活は安定するけれど、「もっと冒険したい」という自分自身の原点に対する渇望(かつぼう)ですね。
だからもう、そのときには“美の女神”に恋をしていたんだろうね。それで「もっと美を追求したい」と考え、大学を卒業してすぐにヨーロッパへ渡り、パリ、スペイン、そして最後にはイタリアのローマに落ち着いて、もう46年になりますね。
作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2000-」
(2000年、イタリア産大理石)
台石は仙台・青葉城の石垣に使用されていた石。バチカン市国のローマ法王公邸内に永久設置。抽象彫刻作品としては歴史上はじめてのこと
ローマ法王に謁見する武藤氏