特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

常に新しい感動を求めて石と向かい合う―彫刻家・画家 武藤順九

2020.11.11


武藤順九京都のアトリエにて(当時、編集部撮影)


●インタビュー/「月刊石材」2019年7月号掲載

常に新しい感動を求めて石と向かい合う
彫刻家・画家 武藤順九


“美の女神”に恋をして

――世界で活躍されていて、普段はイタリアで生活(創作)されていらっしゃるのですね。
武藤順九(以下=武藤) いまは日本が少し長くなりましたけど、もう46年イタリアで暮らしています。いままでは日本で展覧会などがあるときにひょっこり帰ってきていたんですが、最近は京都のアトリエにいることも多くなりましたよ。

――どうして彫刻家になられたのですか?
武藤 そう聞かれると困っちゃうけど、やっぱりつくりたかったんでしょうね。私は絵も描くし、墨絵もやりますし、あとは「石彩(せきさい)」と呼んでいますが、石に絵を描くという私だけのジャンルがあってね。うん、いろいろなことをやりながら遊んでいるんです(笑)。だから、特別に「彫刻家」という“職業意識”を持っているわけではありません。石を彫ったり、キャンバスや石に絵を描いて、自分の表現したいものをつくり続けているだけです。

日本人は「彫刻家」や「画家」といって、みんなジャンル分けしてしまいますね。彫刻でも現代的とか伝統的とか。でもそういうのは皆さんの勝手で、私は「自分が何を表現したいか」ということを追ってきました。その素材がときには石になり、ときにはキャンバスに絵を描いたり。まあ、何にでも描いちゃうんだよな。恥もいっぱいかくしね(笑)。

でもそれが、私の基本的姿勢なんだな。職業があって、その職業を選んだというのではなくて、芸術に恋をしちゃったんだね。一人の男性が一人の女性に恋をするのと一緒で、いつの間にか“美の女神”に恋をした(笑)。たまたまそれが職業になったというだけで、それを皆さんが「芸術家」とか、「彫刻家」「絵描き」と呼んでいるけど、私からするとそんなことはあまり関係ないことだな。

作品「シリーズ/記憶の一片 -太古の空-」
(H.23×L.28×S.2㎝、2003年、石彩作品)



――大学は東京藝術大学へ進まれましたが、少年期からつくることが好きだったんですか?
武藤 そうですね。やっぱり芸術が好きだったんです。でも、どういうジャンルを選択するかというのは、自分でもまだその時点では全然わかっていませんでしたね。

私が卒業したのは東京藝術大学の美術学部工芸科で、工芸というのは、いわゆるクラフトデザインとか、インダストリアルデザインなどを含み、染織や彫金(ちょうきん)、陶芸などを学びました。いま考えると、それはとてもラッキーでしたね。なぜなら、インダストリアルデザインのモデルづくりなど、立体的な表現を学び、またポスターなどの平面デザインも学べたからです。立体・平面を関係なく学んだというのは、今日、彫刻をつくったり、絵を描いたりする一番の基礎を学んだといえます。別にデザイナーになるつもりはなかったんだけどね(笑)。

そして大学を卒業して就職しようというときに、「本当にオレはこれでいいのだろうか」と、自分に対する疑問が生まれたんだな。どこかの会社のデザイナーになれば、お給料をもらえて生活は安定するけれど、「もっと冒険したい」という自分自身の原点に対する渇望(かつぼう)ですね。

だからもう、そのときには“美の女神”に恋をしていたんだろうね。それで「もっと美を追求したい」と考え、大学を卒業してすぐにヨーロッパへ渡り、パリ、スペイン、そして最後にはイタリアのローマに落ち着いて、もう46年になりますね。

作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2000-」
(2000年、イタリア産大理石)
台石は仙台・青葉城の石垣に使用されていた石。
バチカン市国のローマ法王公邸内に永久設置。
抽象彫刻作品としては歴史上はじめてのこと

ローマ法王に謁見する武藤氏



ピエトラサンタで恋人=大理石と出会う

――ヨーロッパに渡ったのは、彫刻を学ぶのが目的ですか?
武藤 学ぶというよりも、好きなことを目指して、ということですね。でも生活がかかっているから、やっぱり自分でつくったものを売っていかないかんからなぁ。それは辛いときもいっぱいありましたよ。それで自分自身に「どうすれば生きていけるか」と問い続けて、「いいものをつくらなければいけない」ということが切実にわかったんですね。

日本であれば大学のコネクションとか、学校に就職するとか、どこかの美術団体に所属するとか、そういうつながりもありますが、私は全部捨ててしまったからね。東京藝大を出ても、そんなことはヨーロッパでは通用しない。苦しくても、お金を借りられる人もいない(笑)。

だから、23歳でヨーロッパに渡ってはじめて裸の自分を見ましたね。そこからが私の本当の冒険。それは戦いでした。

――当時は何をつくられていたんですか?
武藤 最初は絵を描いていましたね。食べていくために肖像画を描いたり、墨絵を描けたから風景や人物を描いて、それはよく売れました。そのうちに段々と生活も落ち着いてきて、少しは経済的な余裕もできたので、ずっとつくりたかった彫刻、それも石を彫ろうと。

きっかけは、あるときにイタリアを旅していて、いまは私の工房もありますが、ピエトラサンタへ行ったんです。世界的に有名な大理石の産地で、彫刻の街ですね。そこでミケランジェロが自ら石を選んだといわれる大理石の採石場にあがったときに、それはもう感動しましてね。「よし、オレもここでやろう」「大理石の彫刻をつくろう」と決意したんです。

――どんな感動がありましたか?
武藤 恋人に会ったような感じだな。うん、そういう表現がわかりやすいでしょう(笑)。「この子いいな」と思える女性にやっとめぐり会えた。そういう感覚でしたね。

作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2001-」
(2001年、イタリア産大理石)

仙台市・仙台国際センターに永久設置



私にとって大理石は、時空を超えて出会える生命体そのもの

――それまでに石を彫ることはありませんでしたか?
武藤 石は彫ってなかったな。粘土でつくる彫塑や、木を削って彫刻のようなものをつくったりはしていましたけど、本格的に石を彫るということはありませんでした。

やっぱり、石の美しさに魅せられたんでしょうね。それも大理石。私の場合はみかげ石ではなくて、大理石なんだな。私は大理石を見ていると、生命(いのち)の循環、つまり生命そのものを感じます。

花崗岩などはどろどろのマグマになって、いろいろなものがミックスされてできているから、金属みたいな印象があります。それに比べて大理石はマグマの近くで温められ、そのままゆっくり、億年単位の時間をかけて冷めて生成される。生命の堆積がその時間の流れのなかを眠ってきているわけだ。だから、石のなかに「fossile」(フォッシレ=化石)なども入っているんですね。ときには何億年前の水が内部に封じ込められていて、「それを見つけたらとてもラッキーなことがある」と、私たちの仲間ではいいますが、本当に時々出会うんですよ、何億年も前の水に(笑)。

つまり、私にとって大理石は、時空を超えて出会える生命体そのものなんだな。

彫刻にしても、「石彩」にしても、大理石を見ていると、その石が何億年も前に生まれた頃の宇宙や地球の風景って、どんなだったのかなと、イメージしながら楽しんでいるんです。石のなかに化石があれば、そのまま使いますが、それもまさに生命体の一つのかたちがそのまま石になって残っているから。私はそれを現代に彫刻として生かし、太古の風景を思い描きながら表現しているんです。

「素材に感じる」と、私はよくいいますが、木を彫る人は木から何かを感じて、木に呼ばれています。同じように、私は石に感じて、石に呼ばれているんです。それも大理石に。だから、彫っていても、彫り進んでいくうちに自然とかたちが現れてくる。それは石そのものからイメージが出てくるからです。「石彩」にしても、石のほうから「こう描いて」といってくる。そういう石の呼び声を、私は聞いてあげているだけだからね。

造形表現をする人たちはみんな、同じようなことをいっていますね。ミケランジェロもそうですし、木彫でも同じで、日本では鎌倉時代に運慶(うんけい)、快慶(かいけい)などのすばらしい仏師がいましたが、彼らも「木に呼ばれる」というようなことをいっていますね。技術の習得などももちろん大切なことですが、最終的にはそういうものを超えて、魂の部分で素材とつながらないといい作品は生まれません。

それは石を扱うのであれば、“石とつながる”ということです。

作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2003-」
(2003年、イタリア産大理石)
イタリア・ピエトラサンタに永久設置



「生命(いのち)」が作品の核にある

――作品のテーマとして最も大切にされているのはどんなことですか?
武藤 それはやっぱり「生命」です。彫刻でも絵でも、テーマは「生命」。最もシンプルで、なおかつぶれないものですし、「生命」が宿っていない作品は世のなかに発表できません。

なぜなら感動を伴わないからです。それもその作品にまずは作者自身が感動しなければ、他人が感動することなんてあり得ません。もちろん好き嫌いはありますが、つくった本人がゾクゾクする感動を得なければ、作品として世のなかには出せない。

――先生は常にゾクゾクと?
武藤 もちろん、その連続だね。その感動を一度でも味わうと、またそれを味わいたくて追い求める。だから〝美の女神”なんだよ(笑)。

それは素材である石でも同じで、ひと目見てゾクッとすることがありますね。でもそういうことは、やはり長い経験のなかで培われるものでしょうね。私がヨーロッパに渡ったのが1973年だから、もうすぐ半世紀。年の功かな(笑)。

――私、74年生まれです(笑)
武藤 そうか、ちょうど私が渡欧して間もなくキミが生まれたんだな(笑)。

私はイタリアの永久市民権も持っているので、日本人でありながらイタリア化、ヨーロッパ化するのが普通と考えられます。でもそうではなく、むしろ日本とか、イタリアとか、そういう国と国の水平レベルではなくて、それを超えた縦のレベルというか、「世界市民」みたいな感覚がとても必要だと思っています。私がテーマにする「生命」とか、自然、宇宙というものは、民族や宗教、政治、人種などを超え、人類共通の世界観ですから、そういうものがやはり作品の重要なキーワードになるでしょうね。

いままでバチカンやブッダガヤなど、世界中でいろいろな仕事をさせていただいたのも、やはり私の作品の一番根底の核には、すべての人たちが探し求める、平和や生命の尊厳というものがあるからだと思っています。それは私でいえば、「日本人」というアイデンティティを超えたところにあるものですね。

――でも、どこかに日本人的なものがあるのでしょうね?
武藤 それはあるだろうね。日本の文化を「抹香(まっこう)くさい」という人もいますし、そういうものをすべて取っ払おうと思っても、それはなかなかできませんよ。意識してなくても自然に出てきますね。自分の育った根っこだから、それはそれでいいでしょう。

でもカッコつけて「日本人」「日本文化」というのは、もう勝手にやりなさいと。そういうことをいわなくても、作品が自ずと語るようにならないとだめでしょうな。

作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2005-」
(2006年、イタリア産大理石)

仏教発祥の地、インド・ブッダガヤのマハボディ大寺院(世界遺産)に永久設置



「アーティスト」は職業ではない。作品が評価されて得られる称号である

――美術の世界でも、イタリアと日本では違いますか?
武藤 違いますね。ヨーロッパ、特にイタリアは世界の文化の中心です。ローマの文明がそのほとんどの根底になっていますからね。そしてそこではアートという大きな家、箱のなかに、たまたま絵を描く人がいて、石を彫る人がいる。ミケランジェロはどちらもやりましたけど、そこにみんなが納まって、そのなかで競っているから厳しいわけです。

でも日本の場合には、その大きな家をさらに細かく部屋割りしてしまって、そもそもの「芸術」という大きな枠組みすらも見えにくくなっていますね。それは自分たちでそうしているんでしょうな。いってみれば、職人組合でしょうか。つまり、冒頭でも触れましたが、芸術を仕事にしているんです。

でも、アートというのは本来、仕事ではないんですよ。アーティストというのは、職業の名前ではありません。

私が石の彫刻を始めた頃にある工房に行くと、職人さんに「キミはいままで石を彫ったことがないらしいが、どんな職業をしてきたんだ?」と聞かれました。それで私が「アイ・アム・アーティスト」と答えると、彼は不思議そうな顔をして、「キミのいうアーティストは意味が違う。ぼくはキミの職業を聞いているんだ」と。つまり「いままでどうやって食ってきたのか?」と聞いてくるんです。そして、こう続けました。

「アーティストというのは、ぼくらが決めることだ。キミ自身で決めることではない。キミの作品を見た人が、キミがアーティストかどうかを決める。だからキミは自分のことをアーティストとはいえないんだ」

アーティストとは、他人からいただく名称なんです。それも自身の作品が評価されて得られる称号なんです。彼のこの言葉は、私にとってはカウンターパンチでしたね。

イタリアには、石の世界でも職人さんがいっぱいいますよ。それも世界有数の技量を持って、世界中で仕事をしています。ただ、彼らは技術者なんですね。だから「すばらしいものをつくっているのに、なぜキミたちはアーティストといわれないのか?」と聞くと、「つくっているものを見ればわかるだろう。オレは職人であり、アーティストではない」と。そのあたりの区別は、ヨーロッパでは非常にはっきりしていますね。でも日本では曖昧(あいまい)で、誰でもアーティストになってしまう。何にでもすぐに「アート」とつけたがるし、本人もすぐその気になっちゃうんだよな。

――本来はそういう厳しい環境のなかで認められなければいけないのでしょうね。
武藤 そうです。職人はまだ食べられますが、アーティストを志す人はとても厳しいですよ。でも、みんな“美の女神”に恋をしているから、苦しくても続けているんです。私もいまはアーティストと呼んでいただいていますが、もともとは石屋ですからね。大理石の加工技術や道具の使い方などもすべて、イタリアの職人から学びましたから。でも結局、アーティストになれずに石屋になる人が、イタリアにはけっこう大勢いますよ。

だから大事なのは、先ほどもいいましたが、作品をつくって、まずは自分が感動できるかどうかということ。できなければ他人が感動することはなく、お金の授受も成り立たない。1回は親戚や友人がお付き合いで買ってくれるからいいですよ。でもそれも2回目はないからね。あとは全然知らない人たちが、その作品をほしいと思うかどうか。

それは芸術だけではなく、どんな分野でも同じでしょうね。

作品「シリーズ/記憶の壁-生命のシンフォニー-」
(H.60×L.80㎝、ネオフレスコ、2017年、絵画作品)


作品「生命の歌」
(H.67.5×L.67.5㎝、2017年、墨絵作品)



「生命」をテーマに制作を続け、魂に関する場所には自然に呼ばれる

――大理石に限らず、石の役割をどのようにお考えでしょうか?

武藤 地球というのは宇宙のなかの小惑星ですが、そのなかにもまた地域性があって、日本では木が主体で、ヨーロッパでは石が主体ですね。それは気候風土や地理的な要素もとても関係していて、人間は自然のなかで生活しながら身近な素材を使ってきたわけです。それが日本の場合は木になって、ヨーロッパでは石。堅牢(けんろう)さなど、性質上の必要性もありますね。

そういう大きな地球という庭のなかで、私はたまたま日本に生まれ、やはり木の文化で育ったわけですが、かといって日本でも石は生活のなかで非常に重要な役割を担ってきましたね。ただ主役というより、どちらかというと脇役というか、見えない縁の下の力持ちのような使われ方が多かったでしょう。

でもそれが特に明治以降、西洋からいろいろな石文化が入ってきて、日本でも主役として使われる場面が増えてきた。では、いまどうやってその石を使うか。これが昨今の石材業界の一つのテーマではないですか?

――はい。どう使いましょうか?
武藤 それは時間の経過とともに会得(えとく)していくものです。ただ時間はかかります。だからやめざるを得ない人も出てきます。それはいつの時代も同じです。墓石にしても、どんなデザインにしようかと、皆さんが探しているのは知っています。私も霊園や納骨堂のモニュメントをつくらせていただいたり、石屋さんと一緒に仕事をすることもありますからね。

でも改めて、私の作品がキリスト教の聖地・バチカンに設置していただいたり、仏教の聖地であるブッダガヤに設置していただいたりするのを見ると、それらはいずれも宗教の原点の地です。また現在進行中のものでは、来年、宮城県石巻市に完成予定の震災復興祈念公園に設置する慰霊モニュメントの制作を依頼されていますが、それもいうなれば、お墓と同じ意味を持ちますね。

そういうことを考えると、やはりつくる側、供給サイドがいろいろな提案をすることが、これからはもっと必要だと思います。

――参考までにお聞きしますが、先生のお墓はもう建てられていますか?
武藤 故郷の宮城県に先祖代々のお墓がありますが、バチカンでもブッダガヤでも、もう自分のお墓をつくったようなものかな(笑)。アメリカのネイティブ・アメリカンの聖地・デビルズタワーナショナルモニュメントに設置されたのも、先住民の方々のお墓といえますからね。

不思議なもので、「生命(いのち)」をテーマに制作しているからなのか、世界各地のそういう“魂”に関する場所には自然に呼ばれていますね。何もお墓をつくりたくて彫刻を始めたわけではないのですが、いまになって考えてみると「なるほどな」と思いますよ。

作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2008-」
(2008年、イタリア産大理石)

ネイティブ・アメリカンの聖地、アメリカ・ワイオミング州のデビルズタワーナショナルモニュメント(アメリカ合衆国・国定公園)内に永久設置



「惚(ほ)れた石があるから彫る」

――石の魅力とはどういうものでしょうか?
武藤 私の場合には大理石になりますが、それはやはり先ほどお話した「生命」でしょうな。それと適度なやわらかさがあり、石目が美しいということ。また大理石は世界中に何百種類とあって、白だけでなく、黒、ピンク、ブルー、グリーン、赤など、いろいろな色があるんですね。その時々にどの石を使って作品をつくろうかという思いに応えられるだけのバリエーションがあるのも楽しいですね。

でも、やはり相性がいいんでしょうな。

私は石も好きだし、木も好きだし、紙も好きで、好き嫌いは何もありません。食べ物も同じで何でも食べる(笑)。ただそのなかでメニューがあり、どの石を使おうかと選ぶとなると、やはり大理石になりますな。

――花崗岩で彫ろうとは思われないですか?
武藤 魅力を感じませんからね。立体をつくるという楽しみだけなら、みかげ石でも、その他の石でもわかりますよ。でも、その素材に魅力を感じなければ、私の場合は手が動きませんからね。なぜなら、心が動かないから。

石材業界の皆さんにも「ウチの石でつくってください」といわれることがありますが、それもまずは石を見てから決めます。それでなかなか、「この石でつくりたい」ということがいまのところはありません。その点は、私がものすごくわがままだと自分でも思うところで、日本の石にもいい石はいっぱいありますよ。でも私は「石があるから彫る」という考えではないのです。

「惚れた石があるから彫る」――これが私の姿勢です。

だから、これは石屋さんにも聞いてみたいことですが、皆さんのなかには代々石屋を継いでいる方もいらっしゃいます。でも「本当に、その石に惚れているの?」と。産業としてあるから石屋をやっているのと、石に惚れているから石屋をやっているのとでは、根本的にまったく違いますからね。私は石との出会いを求めて、世界中をまわっています。好きな石を、わざわざ自分から探しに出かけているのです。もうそこに石があるから彫っているわけではない。そこが大きく違うところですね。

これからは日本の彫刻家も、石屋さんも、自分が「この石でつくりたい」という石を選ぶような姿勢を持つことも必要ではないかと思います。「こういうものをつくるなら、この石しかない」という視点ですね。

大理石を探して世界中をまわる武藤順九氏

ピエトラサンタの工房にて



日本初の“武藤順九彫刻園”

――東京・昭島の「昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園」を拝見しました。ゆたかな森と先生の作品とがつくる空間に感動しました。
武藤 すごくいいだろう?(笑)。あの「彫刻園」は日本初の彫刻公園です。なぜ日本で初めてかというと、切り口は二つあります。

一つは、彫刻園の構成のあり方です。
“昭和の森”というのは自然環境の保護が目的で、住宅や施設などをつくることができません。そういう森は、実は日本にはいっぱいあって、でも経済的効果がなければ維持していくのも大変で、森がジャングルのように荒れたり、朽ちていくことも多いそうです。“昭和の森”自体は、昭和飛行機工業㈱(東京都昭島市)が保有する広大な土地の一部で、同社が大事に手入れして森を守っていますが、ただ単に森を整備するだけではなく、「もっと魅力的な森にしたい」という彼らの将来に向けたコンセプトのなかに、「子どもや大人がアートを身近に楽しめる森をつくりたい」という夢があり、今回の「彫刻園」のプロジェクトが生まれました。

縁があって私たちが出会い、「彫刻を森のなかに置いて皆さんに楽しんでもらいましょう」と動き始めたわけですが、そこには当然、森を守るという視点で昭島市の協力も必要になります。つまり行政と、昭和飛行機工業などの民間企業・団体、そしてそこにアートが加わり、官民+アーティストが協力して彫刻公園をつくり、運営し、文化を発信するという日本で初めてのプロジェクトが生まれたのです。まだオープンしたばかりですが、これが成功すれば、いま地方の活性化が課題の一つであり、いい意味で最初のモデルになるはずです。

昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園(東京都昭島市)
自然ゆたかな森のなかに作品を置き、うつろう木洩れ日のなかで四季折々に表情を変える武藤氏の作品9点を鑑賞できる。写真は作品「MALE AND FEMALE」(2011年、イタリア産大理石)
*2019年6月、編集部撮影



大理石のメンテナンス技術を日本の石文化のために伝えたい

そしてもう一つ大事なことは、これも日本で初めてですが、森のなかに大理石の彫刻を半永久的に設置するわけですから、そのメンテナンスの仕組みづくりが必要になりました。「彫刻園」として、森のなかに彫刻を置く一番のネックは樹木です。木は呼吸しながら樹液を出すので、それが作品に付着し、そこに汚れが付き、しかも日本の場合は大気汚染もあるから、どんどん汚染されていきます。これはヨーロッパでも同じで、だから普通は誰も森のなかに彫刻を置きたがらないのです。

では、「彫刻園」ではどうするか。大理石の彫刻にとっての悪条件がそろうなかで、いかにして作品を維持していくか――という視点での研究プロジェクトが、これも官民協同で実はもう始まっています。

これは日本人の価値観や美意識といえますが、日本の石文化はどちらかというと、わざわざ苔(コケ)を生やしたり、朽ちていっていいという考えがありますね。それは日本人の感性で、日本における石に対する姿勢の一つです。でもヨーロッパでは違い、いかにメンテナンスしていくかを重視しています。石のお掃除ですね。自宅を掃除するということは、まさに大理石を掃除するのと一緒だから、そこにクリーニングやメンテナンスの技術が生まれる。残念ながら日本にはそれがなく、イタリアが世界一の技術、ノウハウを持っています。

それでまず、「彫刻園」では第一弾としてイタリアから優秀な職人を呼び、設置前の作品にコーティングを施し、また普段は当然、野鳥のフンなども付着しますので、そういう汚れを石に染み込ませないためのメンテナンス方法などを教わりました。これはイタリア側にもチームを組んでもらって、今後も毎年一度はクリーニング期間を設け、来日してもらうことになっています。

そしてこれもまた重要なことですが、私たちはそこで得る成果を自分たちだけのノウハウにするのではなく、日本の石材業界の方とも共有したいと考えています。イタリアのプロが教える大理石クリーニング・メンテナンスのワークショップなどを開催し、業界の皆さんにも参加していただきたいと考えています。これが実現すれば、今後の日本の石文化が前進するためのとても大事な第一歩になるはずですから、『月刊石材』もお手伝いくださいよ!

――ぜひ協力させていただきます!


作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2003-」
(2011年、イタリア産大理石)



作品「CIRCLE WIND(風の環)」
(2011年、イタリア産大理石)

*上2点:昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園にて、2019年6月、編集部撮影

◇昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園ウェブサイト



押し付けではない鑑賞を

――「彫刻園」では四季はもちろん、朝夕など時間の経過によっても作品の表情や景色が変わるのが、とてもいいですね。
武藤 園内の通路やその周辺の植栽などは新たに整備しましたが、年月の経過とともに、これからどんどんよくなりますよ。木が茂って、花が咲いて、また紅葉や雪の景色もすばらしいでしょうね。だから皆さんには「一度見て終わりではなく、一年を通じて見に来てください。四季折々に楽しめますよ」と話しています。

それと普通のミュージアムは、いつも同じライティングで、同じ状況のなかに、同じ角度で彫刻が置かれていますよね。私はあれを「押し付けの鑑賞」といっていますが、「彫刻園」では照明を使わず、自然の木洩れ日のなかで作品を鑑賞できます。作品にはそれぞれ芯棒(しんぼう)を入れていますが、固定せずに360度回転させられるので、角度を変えて見ることができ、作品のかたちも表情も変わる。頑丈にフィックスすると、地震のときなどに折れたりして危ないから、わざと動くようにしているんです。

――実際に来園者が作品を自由に回転させてもいいんですか!?
武藤 いいの、いいの!(笑)。また回して戻せばいいんだから。子どもたちが楽しんで触ってもいい。手あかがついても、そのためにしっかりメンテナンスするんだからね(笑)。

――かたちが無限に広がりますね。先生はかたちに対するこだわりなどがありますか?
武藤 こだわりというか、私の場合はメビウスの環(わ)をモチーフにした作品『風の環(CIRCLE WIND)』シリーズがありますが、でもそれも1点ずつ、すべてかたちは違います。だから、あんまりこだわりはないかな。

先にも話しましたが、「生命(いのち)」のイメージから入るから、「こういう生命もあるな」と思えば、かたちは無限ですね。それに一つひとつの石からもイメージが無限に伝わってくる。だから人の展覧会を見に行く必要がない。なぜなら真似する必要がないから(笑)。むしろ、いまはずい分と真似されているけど、「どうぞどうぞ真似してください」と。それでいい作品ができれば、すばらしいことですからね。

「彫刻園」でも、最初の「一」を始めるのは大変なことなんですよ。みんなもやりたいけど、リスクを負いたくないから、なかなかできない。でもこれがうまくいけば、もしかすると二番手が出てきて、それは思うようにやらせてあげればいい。「オレが先にやったんだ」ではなくて、私たちの方法を参考にしてもらって、それで世のなかの人々みんなが気持ちよくなれればいい。それが私のコンセプトでもあるんです。

大きな時間の流れのなかで、みんなはちゃんとわかってくれます。「これは『彫刻園』から始まったことだ」と。だからメンテナンスも含め、「あそこから日本の石文化が変わった」といわれるくらいのことをしっかりやろうと、行政も含めてみんなで話し合ったんです。

――設置した作品は9点で、グランドオープンは6月(June=順)9(九)日ですね(笑)。
武藤 そうそう、私の名前にちなんでな(笑)。みんなもそうやって楽しみながら考えて、でも本当によくやっていただきました。

園の整備を担当した造園屋さんも、外構屋さんも、関わっていただいた皆さんが心を一つにして、本当にすばらしい「彫刻園」にしていただいた。この森の空間は世界に誇れるもので、いままで私が関わった仕事のなかでも最高の仕事の一つといえます。今後は世界中から来園者があると思いますが、必ず感動してもらえるはずですよ。

2020年に宮城県石巻市に完成予定の東日本大震災の復興祈念公園(仮称)内に設置される予定の慰霊モニュメント制作風景。
作品名は「CIRCLE WIND(風の環)-絆-」(東日本大震災3.11慰霊モニュメント)で、こちらも官民一体のプロジェクト


作品「CIRCLE WIND(風の環)-N.Y.9.11慰霊モニュメント-」
(2011年、イタリア産大理石)

アメリカ同時多発テロの慰霊モニュメント。
ニューヨーク市のジャパン・ソサエティーでプレビュー展示した



死ぬまで描き続けている絵があってもいい

――「自分で感動できない作品は世に出せない」とのお話がありましたが、作家でも職人の世界でも一つの作品がそれで完成かどうかという話をよく聞きます。皆さん「完成はない。満足できない」といわれることが多いですね。
武藤 そうですね。だから、自分で納得できるまで、私は作品を発表しません。たとえば、いまアトリエに1993年に最初にサインをした絵があります。もう25年も前ですね。それはいまもずっと描き続けています。うん、もう完成かなと思っても、またすぐに壊すんだな。

つまり、私という人間はいまの自分であり、明日の自分はわからないということだよ。だから自分が死ぬまで描き続けている絵があってもいい。一生をかけて変化していく自分が、これまでどういう変化をたどってきたのかを、その作品を通して確認するわけだな。

しかし、絵に比べると、彫刻は一発勝負だからそうはいかない。それでも私は彫刻家として、自分でゾクッとするものをつくり続けるためにその瞬間を追い求めている。

だからこそ、常に新しい感動を求めて石と向かい合う。そういうことだな。

――貴重なお話をありがとうございました。緊張感にしびれました。



写真提供:一般社団法人「風の環」
出典:「月刊石材」2019年7月号
聞き手:「月刊石材」編集部 安田 寛




武藤潤九

武藤順九(むとう じゅんきゅう)
1950 仙台市に生まれる
1973 東京藝術大学美術学部卒後フランス、スペイン滞在
1975 イタリア・ローマにアトリエを構え、現在に至る
1976 ローマ国際オスカー展出品、絵画の部オスカー受賞
1978 ローマ国際アーティスト展銀賞受賞
1988 イタリア・フェラーラ近代美術館個展
1990 ローマナショナルライブラリーセンター個展(イタリア文化省主催)
1997 ヴェルシリア賞 1997年度グランプリ受賞〈彫刻、絵画〉(イタリア)、同受賞展・PAX2000世界巡回展開始(イタリア)
2000 「風の環-PAX2000-」カステル・ガンドルフォのローマ法王公邸内に史上初の抽象彫刻永久設置(バチカン市国)
2001 「風の環-PAX2001-」仙台国際センターに永久設置(宮城県仙台市)
2002 「シリーズ『記憶の壁』PAX2001-光の誕生-」ユネスコのパリ本部に永久設置(フランス)
2003 「風の環-PAX2003-」ピエトラサンタに永久設置(イタリア)
2006 「風の環-PAX2005-」仏教発祥の地ブッダガヤ《世界遺産》に永久設置(インド)
2008 「風の環-PAX2008-」ネイティブ・アメリカンの聖地ワイオミング州デビルズタワーナショナルモニュメント
   (アメリカ合衆国・国定公園)内に永久設置(アメリカ)
2009 国際天文学連合により小惑星6098が「MutoJunkyu」と命名される
2011 「風の環-N.Y.9.11慰霊モニュメント-」ニューヨーク市のジャパン・ソサエティーでプレビュー展示(アメリカ)
2012 COP3京都議定書 15周年プロジェクト「光・水・風」国立京都国際会館庭園に21点の彫刻作品を展示(京都市)
   同オープニングにて「東日本大震災3.11慰霊モニュメント 1/4ファーストイメージモデル」初披露
2017 フェラーリ創立70周年記念特別イベント〈イタリアの風〉(東京都)
2019 6月9日「昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園」開園(東京都昭島市)
2020 3.11慰霊モニュメント 石巻国立慰霊公園(仮称)に設置予定(宮城県石巻市)

◇関連動画をYouTube「武藤順九」で検索
・武藤順九014/3.11風の環プロジェクト ・風の環3.11 東日本モニュメント活動
・武藤順九(1) ・武藤順九(2)
・3.11&人と自然自然 悲しみと愛~武藤順九の宇宙~
・Junkyu Muto’s Universe:3/11, Humans and Nature, Sorrow and Love(英語版・武藤順九の世界)

◇書籍『風の環 武藤順九の宇宙』(神渡良平著/PHP研究所)
◇書籍『いのちを彫る 風の環の哲学』(武藤順九著/PHP研究所)

◇公式サイト
武藤順九の宇宙 http://www.junkyu.jp/