特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

常に新しい感動を求めて石と向かい合う―彫刻家・画家 武藤順九

2020.11.11

「生命」をテーマに制作を続け、魂に関する場所には自然に呼ばれる

――大理石に限らず、石の役割をどのようにお考えでしょうか?

武藤 地球というのは宇宙のなかの小惑星ですが、そのなかにもまた地域性があって、日本では木が主体で、ヨーロッパでは石が主体ですね。それは気候風土や地理的な要素もとても関係していて、人間は自然のなかで生活しながら身近な素材を使ってきたわけです。それが日本の場合は木になって、ヨーロッパでは石。堅牢(けんろう)さなど、性質上の必要性もありますね。

そういう大きな地球という庭のなかで、私はたまたま日本に生まれ、やはり木の文化で育ったわけですが、かといって日本でも石は生活のなかで非常に重要な役割を担ってきましたね。ただ主役というより、どちらかというと脇役というか、見えない縁の下の力持ちのような使われ方が多かったでしょう。

でもそれが特に明治以降、西洋からいろいろな石文化が入ってきて、日本でも主役として使われる場面が増えてきた。では、いまどうやってその石を使うか。これが昨今の石材業界の一つのテーマではないですか?

――はい。どう使いましょうか?
武藤 それは時間の経過とともに会得(えとく)していくものです。ただ時間はかかります。だからやめざるを得ない人も出てきます。それはいつの時代も同じです。墓石にしても、どんなデザインにしようかと、皆さんが探しているのは知っています。私も霊園や納骨堂のモニュメントをつくらせていただいたり、石屋さんと一緒に仕事をすることもありますからね。

でも改めて、私の作品がキリスト教の聖地・バチカンに設置していただいたり、仏教の聖地であるブッダガヤに設置していただいたりするのを見ると、それらはいずれも宗教の原点の地です。また現在進行中のものでは、来年、宮城県石巻市に完成予定の震災復興祈念公園に設置する慰霊モニュメントの制作を依頼されていますが、それもいうなれば、お墓と同じ意味を持ちますね。

そういうことを考えると、やはりつくる側、供給サイドがいろいろな提案をすることが、これからはもっと必要だと思います。

――参考までにお聞きしますが、先生のお墓はもう建てられていますか?
武藤 故郷の宮城県に先祖代々のお墓がありますが、バチカンでもブッダガヤでも、もう自分のお墓をつくったようなものかな(笑)。アメリカのネイティブ・アメリカンの聖地・デビルズタワーナショナルモニュメントに設置されたのも、先住民の方々のお墓といえますからね。

不思議なもので、「生命(いのち)」をテーマに制作しているからなのか、世界各地のそういう“魂”に関する場所には自然に呼ばれていますね。何もお墓をつくりたくて彫刻を始めたわけではないのですが、いまになって考えてみると「なるほどな」と思いますよ。

作品「CIRCLE WIND(風の環)-PAX2008-」
(2008年、イタリア産大理石)

ネイティブ・アメリカンの聖地、アメリカ・ワイオミング州のデビルズタワーナショナルモニュメント(アメリカ合衆国・国定公園)内に永久設置



「惚(ほ)れた石があるから彫る」

――石の魅力とはどういうものでしょうか?
武藤 私の場合には大理石になりますが、それはやはり先ほどお話した「生命」でしょうな。それと適度なやわらかさがあり、石目が美しいということ。また大理石は世界中に何百種類とあって、白だけでなく、黒、ピンク、ブルー、グリーン、赤など、いろいろな色があるんですね。その時々にどの石を使って作品をつくろうかという思いに応えられるだけのバリエーションがあるのも楽しいですね。

でも、やはり相性がいいんでしょうな。

私は石も好きだし、木も好きだし、紙も好きで、好き嫌いは何もありません。食べ物も同じで何でも食べる(笑)。ただそのなかでメニューがあり、どの石を使おうかと選ぶとなると、やはり大理石になりますな。

――花崗岩で彫ろうとは思われないですか?
武藤 魅力を感じませんからね。立体をつくるという楽しみだけなら、みかげ石でも、その他の石でもわかりますよ。でも、その素材に魅力を感じなければ、私の場合は手が動きませんからね。なぜなら、心が動かないから。

石材業界の皆さんにも「ウチの石でつくってください」といわれることがありますが、それもまずは石を見てから決めます。それでなかなか、「この石でつくりたい」ということがいまのところはありません。その点は、私がものすごくわがままだと自分でも思うところで、日本の石にもいい石はいっぱいありますよ。でも私は「石があるから彫る」という考えではないのです。

「惚れた石があるから彫る」――これが私の姿勢です。

だから、これは石屋さんにも聞いてみたいことですが、皆さんのなかには代々石屋を継いでいる方もいらっしゃいます。でも「本当に、その石に惚れているの?」と。産業としてあるから石屋をやっているのと、石に惚れているから石屋をやっているのとでは、根本的にまったく違いますからね。私は石との出会いを求めて、世界中をまわっています。好きな石を、わざわざ自分から探しに出かけているのです。もうそこに石があるから彫っているわけではない。そこが大きく違うところですね。

これからは日本の彫刻家も、石屋さんも、自分が「この石でつくりたい」という石を選ぶような姿勢を持つことも必要ではないかと思います。「こういうものをつくるなら、この石しかない」という視点ですね。

大理石を探して世界中をまわる武藤順九氏

ピエトラサンタの工房にて