特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

見事に蘇った常磐橋! ― ㈱文化財保存計画協会特任主任研究員 西村祐人さんに聞く

2021.05.12

あえて塗装を施さなかった鋳物の高欄の手すり柵

 

常磐橋の本当の尊い価値は必ず残る

中井 今回の常磐橋プロジェクトは、自然に対する謙虚さを失ったものづくりのあり方に対して、「何を伝えようとしたのか」が核心だと思っています。私がなぜそこにこだわるのかというと、常磐橋は一般的な公共施設のクオリティとしては、例外的に高スペックの部分があると思っているからです。

 具体的には、管理に苦労するであろうと思っています。たとえば下世話な話ですが、10年、20年、30年経ったときに、いまのクオリティを維持する管理費が出るのか。そのほかにも心配事はありますが、でも、ここでのものづくりの精神は、現代社会の土木や建築のものづくりに対して、ある種の意思表示になっていると思いますので、そこはとてもリスペクトしています。

西村 そのあり方を私自身が目指したというよりも、常磐橋そのものが江戸から東京へと変化する時代の狭間に産み落とされたもので、その内側にそもそも大きな矛盾をはらんでいます。石橋を解体したら、その矛盾が如実に現れましたが、そのことと向きあった結果だと思います。

 常磐橋ができた当時、「近代国家の橋梁としての体裁を整えたい」という思いがある一方で、技術の中身は江戸時代のものでした。さらにそれを現代において修復しているわけです。歴史的なものと現代の価値観との間にも多くの矛盾が生じるわけです。その部分を切り捨てず、受け入れ内包するけれども、全体として調和のあるものを、どのように再構築できるか、ということとの闘いでした。

 ですので、矛盾を受容するというあり方自体は常磐橋が元来持っていたものであり、それを掬い上げることはできたのではないかと思っています。

 また管理の話でいうと、「開いておくべき」という考えを常に持っていて、石の話ではありませんが、高欄の手すり柵はあえて塗装しませんでした。一年に一度、みんなで集まって錆が出たところを磨き、油と蜜蝋を使ってメンテナンスします。「地域で常磐橋を守っていく」ということの意思表示です。

中井 手すり柵は大丈夫でしょう。私が心配しているのは、常磐橋本体にとって本質ではないかもしれませんが、ベンチや照明などです(笑)。

西村 それらも本質になってほしいのですが(笑)。私はベンチや照明も、常磐橋の精神の延長線上にデザインしたつもりです。

中井 それはわかっています(笑)。私がいいたいのは、西村さんというエンジニアが一生懸命デザインしたベンチやボラード(車止め)、照明が、仮に三十年後、五十年後に既製品になったとしても、「常磐橋の本当の尊い価値は必ず残る」ということです。その価値、メッセージは、「ものづくりで、本当に大事な部分は何か」ということだと思います。

 ベンチや照明などは、西村さんという人間の体臭、個性が残っています。もちろん、悪いことではありません。でも本体の常磐橋には、西村さんの熱情は残っているけれども、体臭はなく、精神に昇華されているということかな。これが私の評価です。不満ですか(笑)。

新たにデザインされたベンチとスタンドライト(写真提供:文計協)


西村
 評価するのは私ではありませんし、私はそれぞれに思いを込めたので、言葉を付け加えることはしたくない、というところです(笑)。

中井 常磐橋を解体したときに、小石川門の石垣で使っていた石を転用していたと思いますが(※)、大らかにつくっている感じはありましたよね。

西村 私は、大らかというか、ともかくあり合わせの材料をかき集めて、何としてでも急いで完成させなければならなかったという切実さを感じました。

中井 当時の人たちは、たいへんな思いをして、またブツブツ文句をいいながらも、一生懸命やったのだろうな、と、当時の石工さんの声や表情が目に浮かびますよね。何か温かい気持ちになりました。

 文明開化のデモンストレーションで、ともかく立派なものをつくろうとしたプロジェクトだと思っていましたが、解体現場を見て、「そんなに固く考える必要はないかな」という気もしました。日本や東京の命運が常磐橋にかかるはずはなく、想像ですが、私たちが新しいものに憧れる気持ちとか、いまだ見ぬものをつくるときのワクワク感とか、でもお金はない、これくらいでいいか、といったいい加減さなど、「人間がつくったんだな」という部分が見えてきました。

西村 史料からも、いまでいうゼネコンさんが当時の現場で奔走しているようすが見え、「いまと同じだな」と思ったりしていました。時代の転換期のなかで産み落とされ、いろんな矛盾を内包した石橋で、温かくなる気持ちと同時に、近代がその後、背負っていく影のようなものをすごく感じましたね。

 そして、そのことと向き合わなければならなかったので楽しくも苦しかったです。

中井 そもそも「矛盾が悪」というのが近代的な価値観だと思います。それは、「ある合理性に乗らないこと、反することを排除していく」という姿勢につながります。でも考えてみれば、矛盾というのは、相反する価値であっても同居している状態だから、実は矛盾のある世界のほうが、より他者を受け入れるオープンな世界なのかもしれません。

 だから矛盾を前提に、それぞれが役目を果たしながら、どのように一つの世界を組み上げていくのか。石橋をつくるというのは、まさしくその世界であり、そういう世界の価値を今後も取り戻していきたいですよね。今回、そこは共感したところです。

西村 「そこは」ですね(笑)。本日はお忙しいところ、誠にありがとうございました。

 

西村祐人(にしむら・ゆうと)
 1984年、大阪府生まれ。2006年、国立明石工業高等専門学校卒業。2008年、千葉大学工学部卒業。2010年、東京大学大学院工学系研究科修了。同年、㈱文化財保存計画協会に入社し、技術員・研究員・主任研究員補を経て、現在、特任主任研究員。㈱デザイン・フォー・ヘリテージ代表取締役。技術士(建設部門)。一級土木施工管理技師。二級建築士。萩城(萩市)や松江城(松江市)、鳥取城跡(鳥取市)などの石垣修理及び武田氏館跡(甲府市)、小田原城跡(小田原市)、笠間城跡(笠間市)、常盤橋門跡(千代田区)などの調査、史跡整備、堀川橋(日南市)の保存修理、旧出島橋(長崎市)の復元検討、長崎市外海地域の石積集落の調査などに携わる。

 

中井祐(なかい・ゆう)
1968年生まれ。東京大学工学系研究科社会基盤学専攻景観研究室教授、博士(工学)。専門は景観論、土木構造物・公共空間のデザイン、近代土木デザイン史。土木学会デザイン賞最優秀賞、土木学会論文賞など受賞。著書に『近代日本の橋梁デザイン思想』(東京大学出版会)など。主なプロジェクトに片山津温泉砂走公園あいあい広場(石川県加賀市)、ベレン公園図書館(コロンビア・メデジン市)、大槌町復興計画策定支援(岩手県大槌町)など。

 

※『月刊石材』2021年1月号より転載