特別企画
お墓や石について、さまざまな声をお届けします。
想像もしなかったものが、石に向き合っているときに生まれてくる―彫刻家 樂雅臣
自然(石)を支配しない
――割肌を使われますが、作品づくりは基本的に手加工ですか?
樂 制作には電動工具も使いますが、石を割るのは矢やコヤスケで割っています。研磨も、機械で磨くと均一になってしまいますから、手磨きで仕上げることが多いですね。機械には機械の良さがあり、手には手の良さがありますが、石がもともと持っている存在感を生かすのが僕の作品には不可欠なので、そのために手と機械を使い分けて表現しています。
割肌はまさに石の存在感を表すもので、作品をつくるとき、僕は最初に割肌をつくります。石が割れたそのままのかたち、自然の表情を生かしながら、あとはそれに合わせて彫ったり磨いて、人工的なかたちをつくり、その対比、差を彫刻として見せています。
石自体が自然物なので、それを自分が完全にコントロールするのは嫌だなという気持ちがありますね。自然を支配することなく、自分の彫刻表現を石に合わせていくという感覚です。
――割肌は、その石の個性といえますね。
樂 そうですね。思い通りにいかなくて、もうちょっと違うように割れてほしかったなと思うこともあります(笑)。でもそこに手を加えると、意図的になってしまいますので、そこはあくまでも自然に任せます。逆に「考えていたよりいいな」ということもありますし(笑)。
――自然を無理にコントロールしないというところも、樂焼に通じますね。
樂 たぶん樂家のモノづくり、つまり素材と向き合う姿勢を見てきたということが影響していると思います。
樂家のお茶碗には、やはり自然が生きていると思うのです。人が手を加えているので人工物ですが、そのなかに自然の美を見出せる。僕自身、もともと自然が大好きですから、それを無理に変えていきたくないといいますか、作品のなかに自然の良さ、美しさをできるだけ傷つけないように考えています。
作品「輪廻 扇」ジンバブエブラック
(写真:樂雅臣)
――作品づくりで石に触れているときに一番楽しいのはどの段階ですか?
樂 割っているときですかね(笑)。楽しいというより、その石にとても興味のある瞬間ですね。割ってみないとわからないという、一番緊張しているときでもあります。
――作品のコンセプトなどは、どこから生まれてくるのでしょう?
樂 たぶん、自分の少ないながらに経験した人生からだと思います。基本的に他の彫刻家の作品(展覧会など)を見に行かないので、誰かに影響されるということはありません。
そういう意味では、僕は古代美術、原始美術が好きで、石でしたらマチュ・ピチュ(ペルー)やピラミッド(エジプト)、アンコール・ワット(カンボジア)、ボロブドゥール(インドネシア)などがとても好きです。
それらもやはり自然とともにあるものです。人間がつくった人工物ですが、自然と一体化していて、より自然に近い存在になっているというところがたまらなく好きなんですね。
彫刻も、ガンガンに削って、ピカピカに磨いたりすると、たとえ自然物を使っていたとしても、もう自然と切り離され、作家の主張が強くなり過ぎると感じています。「石は作品が残るからいいよね。後世に残したいでしょう?」とよくいわれますが、僕自身は残したくてつくっているわけではありません。
それより、数百年、数千年、数億年という時間の経過とともに作品が割れたり砕けたりして、自然に戻っていくのを、できればずっと見続けていきたいと思っています。だから、作品はいずれ自然に戻るようにと考えてつくっています。忽然と森のなかに現れても違和感のないものをつくりたいですね。
作品「Stone box ‘Needle leaf’」オニックス
「自然(石)を支配することなく、自分の彫刻表現を石に合わせていく」という樂氏。自身の作品についても「数百年、数千年、数億年をかけて、いずれ自然に戻っていくのをずっと見続けていきたい」とも話す。写真は作品を滝の前に置いた状態
(写真:樂雅臣)