いしずえ

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須田郡司~聖なる石への旅「釣石神社と石神社の磐座」(宮城県石巻市)

2020.11.11

その他

 2011.3.11、東日本大震災と福島原発事故が起きました。

 その2ヵ月後、私は京大教授で宗教哲学者の鎌田東二さんと共に被災地域の宗教施設の役割の調査へ向かいました。仙台から海岸線沿いを車で北上しながら石巻市に入った時、その被害状況の惨さに驚きました。釣石神社のご神体である釣石に近づくと、周囲の変化に言葉を失いました。神社の社務所、前の集落のすべてが津波で流され、釣石の前には大きな池ができていたのです(写真1,2)。

震災二ヶ月後の釣石神社写真1

写真2

 次に向かった、宮城県雄勝町はさらに津波の被害が大きく、町は壊滅状態でした。そんな中、雄勝法印神楽の保存会の副会長の佐藤さんと出会うことができたのです。雄勝法印神楽とは、羽黒派の修験者により伝えられ、山伏神楽の系統を継ぐとされる国の重要文化財です。佐藤さんは、津波で保存会の会長が行方不明となり、ほとんどの神楽の装束も海に流されたことなどを話されました。

 雄勝法印神楽のパンフレットを見せて頂いた時、最初の頁に石の写真が載っていました。その石のことを尋ねると、その石は雄勝町の石峰山にある、延喜式内社でもある石神社の磐座だったのです。石そのものがご神体の神社で、まさに磐座信仰そのものでした。雄勝法印神楽をされる方々にとって、石神社はとても重要な聖地だったのです。

 翌日、私達は石峰山へ登り、石神社を参拝することができました(写真3、4)。
 

石神社の磐座写真3

石神社の鳥居写真4


 そして驚いたことに、さらに石峰山の山頂近くには神籬と呼ばれる木と一体となった磐座が鎮座していたのです(写真5)。雄勝法印神楽とのご縁により、2つの神々しい磐座と出会う事ができました。

石峰山の神籬の磐座写真5


 古来より、さまざまな自然災害とともに生きてゆかなければならなかった日本列島の先人たちは、自然の声に耳を傾け、森羅万象あらゆるものに対して「畏れと祈り」の日々を過ごして来ました。大災害を機会にして、私たちが、いかに自然の姿とかけ離れた生活をしてきたのか、思い知らされました。それは、日常生活の中で「祈る」という行為を忘れてしまったからかもしれません。日本の磐座は、自然への「畏れと祈り」を思い出させてくれる大切な場所だと思います。

 

※『月刊石材』2014年1月号より転載

 

◎All photos: (c) Gunji Suda

◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。

◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone