いしずえ
お墓や石に関するさまざまな注目情報を発信します。
須田郡司~聖なる石への旅「出雲大社近くの磐座」(島根県出雲市)
2013年5月10日夜、私は友人の紹介で出雲大社の60年に一度のご遷宮に参加しました。夕刻、小雨が降る出雲大社境内は1万2,000人もの方々で埋めつくされています。
夜7時、すべての灯りが消え、御神体を移動する神事が始まりました。神職による「オー・・・・・・」という警蹕の声を先導に、ご神体が運ばれていきます。暗闇の中、竹や木が擦れる音はまるで、何かの魔祓いのようにも聴こえます。御神体が本殿に戻られた瞬間、まるで禊のような雨が境内に降り注ぎました。後日、ある人からこんな話を聞きました。「ご遷宮の時、出雲大社の辺りだけ光が射している光景を見た方が何人もいた」と。
60年ぶりとなる「平成の大遷宮」のクライマックス、本殿遷座祭から一夜明けた11日、出雲大社で、天皇陛下からいただいた御幣物を供える「本殿遷座奉幣祭」が営まれたした(写真1,2)。
ご遷宮の後、私達は出雲大社から徒歩5分の古民家と出逢い、そこを購入させて頂くこととなり、2013年10月より出雲へ移住しました。
写真1
写真2
命主社と美人岩(島根県出雲市大社町杵築東)
私が住んでいる真名井地区には、出雲大社の摂社である命主社という神社があります。出雲大社より400年も古いといわれる社で、例大祭は11月8日です。天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神が祀られています。社の前には、推定樹齢1,000年といわれるムクの巨木があります(写真3)。高さ17メートル、根本回り12メートルです。
写真3
社の後には命主社の荒神が祀られ、さらに奥に入ると美人岩と呼ばれる磐座が鎮座しています(写真4)。寛文5年(1665)の出雲大社御造営の時、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から弥生時代の銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見されました。
写真4
出雲井社と磐座(島根県出雲市大社町修理免)
命主社から社家通りを東へ行くと真名井の清水があり、さらに10分ほど東に行った処に、出雲大社境外攝社で岐神(くなどのかみ)を祀る出雲井社があります(写真5)。別名、出雲路社とも言い、真後ろに磐座が鎮座しています。磐座には、ノミを入れた跡が痛々しく残っています(写真6)。大社町修理免に鎮座する古い社です。祭日、6月1日、10月8日。この修理免の地名は、大社の宮大工が住んでいて、彼らは税金を免除されていたことから付いたといいます。
写真5
写真6
立石神社(島根県出雲市坂浦町)
出雲市内で最も好きな場所の1つが、立石神社(たていわじんじゃ)です。初めて、この場所を訪ねたのは、今から8年ほど前、地元の方の案内して頂きました。小さな参道を歩くと、高さ10メートル以上もの大きな岩が2つ、奥にもう1つあります。岩の前に数本の御幣が供えてあるだけです(写真7)。アニミズムを感じさせる聖なる巨石です。
写真7
この光景を見た時、まるで沖縄の聖所空間、御嶽(ウタキ)を彷彿させました(写真8)。立石神社は、通称「たていわさん」と呼び親しまれています。元々は多伎都比古神社(たきつひこじんじゃ)と呼ばれていたそうです。岩と岩の隙間は胎内潜りのように通ることができます。このような場所に入ると、自然と1つになれるような気分にしてくれます。
写真8
出雲地方には、自然そのものの岩や巨石をご神体としている磐座、石神などの聖なる場所がたくさんあります。今後、出雲人として、ゆっくり訪ね歩きたいと思います。
加賀の潜戸(島根県松江市)
※『月刊石材』2014年3月号より転載
◎All photos: (c) Gunji Suda
◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。
◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone