いしずえ
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須田郡司~聖なる石への旅「近江の国、湖東の石の聖地」(滋賀県)
写真1
滋賀県で最も信仰を集めている神社が、「お多賀さん」として親しまれている多賀大社です(写真1)。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と里歌に歌われている多賀大社の祭神は、天照大神の両親である伊邪那岐、伊邪那美の二神です。古くから広く民衆の信仰をあつめていました。
その多賀大社の別宮と呼ばれているのが滋賀県犬上郡多賀町敏満寺にある胡宮神社です。胡宮神社は、青龍山の巨石信仰が起源といわれ、ご祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐、伊邪那美です。標高333メートルの青龍山は、社殿ができる以前の原始信仰の姿を今に残している聖なる山です(写真2)。
写真2
また、青龍山は双耳峰で、低いほうの峰に胡宮神社の磐座はあります。胡宮神社裏から急な登山道を上ること15分あまりで、高さ5メートル、幅8メートルほどの巨石が現れ、その前に小さな祠が鎮座しています(写真3)。ここには龍神が祀られ、古くから長寿・豊作・雨乞の祈願をしたと言われています。
写真3
伊邪那岐と伊邪那美は、滋賀県犬上郡の山に降臨し、調宮神社に鎮座しました。その後、多賀大社の地に移ったと伝えられていることから、調宮神社は多賀大社の奥宮として信仰されています(写真4)。毎年4月の多賀大社古例大祭に先立ち、調宮神社へ渡御され神輿鳳輦に境内の富の木(神が宿るとされる桂の木)を飾り、大社に還奉されます。
写真4
本殿から少し離れた境内に高さ3メートルほどの巨石あり、その前にはだれが置いたのか白石が供えられています(写真5)。地元の人によれば、かつてこの石には注連縄がまかれていた時期もあったそうで、古くは磐座として信仰されていたのではないかと思います。
写真5
最後に彦根で最も好きな石の聖地を紹介します。比婆山の山頂近くに岩窟の前に鎮座している比婆神社です。御祭神は伊邪那美。古くは「山神さん」と信仰され、湖東、湖北、関ヶ原、また全国から参詣する人が多いと云われます。宝暦以前から社殿があり、昭和23年、崇敬者の寄進により荘厳な神明造りの社殿が再建されました。
神社がある彦根市男鬼は、山間部の限界集落です。集落の外れの鳥居を潜り、さらに険しい坂道を上って行くと、比婆神社の入口に辿り着きます(写真6)。比婆山の山頂近くの大きな岩を背にして建てられた比婆神社が見えてきます。神社の前には、大きな巨石群が岩室のように重なっています(写真7)。元々、山神様はこの岩室の中にお鎮まりなったと云われます。
写真6
写真7
驚くことに神社の東側には、多くの巨石群が広がっています。巨石には苔が生えていて、緑の絨毯のようで神の石庭といった雰囲気があります(写真8)。山上の社殿にしては、とても立派な佇まいです。それは、地元の熱心な崇敬社の方々によって信仰されているからです。苔むした巨石には、カラフルな落葉が落ちていました(写真9)。
写真8
写真9
11月25日、比婆神社で新しい注連縄を付け替える祭典が行われます。比婆神社の前には、十数人もの崇敬者の方々が参列し、ここを兼務している山田神社の宮司によって神事が行われました(写真10)。面白いことは、ここは彦根市にあるのですが、長浜市石田町(石田三成出身地)の方々が中心になってお守りしているのです。お話を聞けば、ここをお参りすると、商いをしている人は繁盛するそうです。祭典後、参拝者の何人かの方は、旧参道沿いにある磐座、男鬼の日枝神社(写真11)で熱心に祈っていました。
琵琶湖の湖東地域には、いまでも信仰されている石の聖地がたくさんあります。
写真10
写真11
※『月刊石材』2014年5月号より転載
◎All photos: (c) Gunji Suda
◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。
◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone