いしずえ
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須田郡司~聖なる石への旅「シーギリヤ・ロック」(スリランカ)
写真1
スリランカ中央部に広がるジャングル。そこに屹立する巨岩は、血塗られた伝説の舞台。かつて、ひとりの王がここから天を目指し、神になろうとした。
紀元5世紀、父王を殺して即位したカッサパ王は、自らを神と称し、この高さ約200メートルの巨岩の上に、「天上の宮殿」を築いた。そして弟の復讐に遭い自死するまでの17年間、この巨岩の岩肌に、その類い稀な造形の才を刻みつけた。
岩山の中腹には、エジプトのスフィンクスを思わせる、巨大な獅子(ライオン)の姿をした城門が築かれていた。宮殿を訪れるものは皆、大きく口を開ける獅子の喉に吸いこまれるようにして頂上へ向かったという。
岩肌に残る天女の壁画。1500年の時を経てなお残る、鮮やかな色彩と妖しい姿態。この壁画の発見が、シーギリヤの名を世界に轟かせた――。
スリランカで最も人気のある遺跡といえば古代都市シーギリヤ(世界遺産)です。5世紀にカッサパ王(在位477〜495年)によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園などの都市遺構です。2007年の暮れ、私はスリランカの巨石巡礼の途上、シーギリヤ・ロックを訪ねました(写真1)。
エントランスから中に入ると、正面に岩山が見え、そこに向かって真っすぐな道が伸びていました(写真2)。シーギリヤ・ロックは火道内のマグマが硬化して出来た高さ約200メートルの岩頸で、形状は楕円柱、全方位が切り立った崖になっています(写真3)。道の左右に広がる庭園を見ると、5世紀に造られたとはとても思えない現代風なガーデンです。王の沐浴場跡を過ぎると石窟寺院跡が見えてきます(写真4)。
写真2
写真3
写真4
シーギリアロックに近づくと、巨石群が現われます。巨石と巨石に挟まれた通路を多くの観光客が吸い込まれてゆく光景は、どこかパラレルワールドへ踏み込んだようです(写真5)。自然の巨石群が、まるで古代庭園のように見え、歩いているだけ太古の記憶へと遡ってゆくようにも思えるのです(写真6)。
写真5
写真6
巨大な岩山の真下にやってくると岩肌に設置された鉄の橋が現われます(写真7)。鉄でできた垂直な螺旋階段を上って行くと、シーギリアの美女たちが待っていました(写真8)。この鮮やかな色彩の壁画が5世紀に描かれた作品とは信じがたい。岩棚には、妖艶な裸婦たちが美しい装飾品を身に着けて微笑んでいます。いまは18人だけが残る美女たちですが、かつては500人も描かれていました。風化による侵食と、度重なるタミル人の侵攻でえぐり取られたのです。
写真7
写真8
フレスコ画の岩棚から下がるとミラー・ウォールと呼ばれる回廊の壁が現れます(写真9)。高さ約3メートル、鏡のような光沢があるため、この名前がつきました。この壁は、レンガを芯に漆喰を塗り、その上に多量の卵白と蜂蜜と石灰を混ぜたものが上塗りされています。その表面を丹念に磨きあげて、光り輝く壁が造られたのです。
写真9
細い回廊からさらに岩壁つたいに上がったところに、頂上直下の広場があります。岩山の北にあり、ライオンの爪が彫られた宮殿への入り口となります(写真10)。この広場から見上げる岩山の姿は、異様なまでにこちらに迫ってきます。急な鉄梯子を上る人々は、まるで岩に張り付く蟻のように小さく見えます。かつては足、頭部があり、ライオンが大きく口を開けて座った形になっていて、階段を上がっていくと、ライオンの喉に飲み込まれるような構造になっていました。
写真10
階段を上がってゆくと、約60度の傾斜面に突き当たり、岩肌に付けられた細い鉄梯子を上がりきると岩山頂上にたどり着きます。宮殿跡は、やや斜めになっていて貯水池や宮殿跡があります。そこから360度パノマラが広がっていました(写真11)。
悲しい歴史を持つシーギリヤロックですが、その美しさは現在も人々を魅了し続けています。
写真11
※『月刊石材』2014年6月号より転載
◎All photos: (c) Gunji Suda
◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。
◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone