いしずえ

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世界最大級の大坂城石垣を支えた、小豆島の石切丁場跡地を体感せよ!

2020.11.13

建築・造園・石垣

 

 瀬戸内の小豆島は、“石の島”なんだよ――そんな話を聞かされたら、『月刊石材』編集部としては取材しないわけにはいきません。高松港からフェリーに乗り込み約1時間、映画『二十四の瞳』やオリーブの産地としても知られる小豆島はおおらかに旅人を迎えてくれます。


 
 石の島と教えていただいた方に聞くと、寛永6年に再建された大坂城の石垣には、小豆島で産出される良質の花崗岩が多数使用されているとのことです。みなさんご存知でしたか? 

 そして現在も、島内の各所には当時の石切丁場、あるいはそこで採掘され加工された石材(残石)が大切に保存されています。特に巨大な「大天狗岩」を擁する天狗岩丁場のある岩谷地区の6つの丁場跡地は、国史跡にも指定されています。

 そこで今号は小豆島に現存する石切丁場の跡地をめぐりましょう。まさに命がけで巨石を切り出していた先人たちへ敬意を払いながら、さあ、石の島めぐりの出発です。

◎ 天狗岩丁場:岩谷地区福田港から車で約10分)

 天狗岩丁場のシンボル的な巨石「大天狗岩」。高さは17.3メートル、重量は約1,700トン。大坂城築造に威信をかけた戦国大名の刻印や矢穴も残っています。





 大坂夏の陣で灰塵となった大坂城の再建のため、2代将軍・徳川秀忠は63藩、64家の大名に命じ10年の歳月をかけて新たな大坂城を築きました。その石垣は総延長12キロメートル、高さ32メートル。使用石材は100万個を超えるといわれています。

 諸大名は良質な石材を確保するために、小豆島をはじめ瀬戸内の島々に石切丁場を開きました。天狗岩丁場は、福岡藩黒田家の初代当主・黒田長政とその嫡男・忠之が採石した場所です。黒田家は大坂城完成後も丁場の残石を厳しく監視し、天狗岩丁場にはいまも666個の残石が存在しています(岩谷地区全体では1,600個を超える)。


天狗岩丁場の石碑(制作:西山石材株式会社)

 天狗岩丁場は、島内の岩谷地区に残る八人石・豆腐石・亀埼・南谷・天狗岩磯の各丁場とともに、石切丁場としては唯一の国指定史跡となっています。

◎ 八人石丁場:岩谷地区福田港から車で約10分)


 高さ4メートルもの巨石を割るために、一度に8人の石工が犠牲になったといわれる「八人石」が残る八人石丁場。五輪塔は石工の供養のために、昭和17年に建立されたものです。




 この八人石丁場にも数百の残石が存在し、矢穴跡や刻印を見ることができます。

 

天狗岩磯丁場:岩谷地区(天狗岩丁場前)


 各丁場から切り出された石材は、すぐ近くの海岸から船で輸送されたといわれます。天狗岩丁場のすぐ前の天狗岩磯丁場。海中にも多くの残石が存在しています。

◎「残念石」は、決して残念なんかじゃない!

 大坂城の石垣用に採掘・加工されたものの、実際には運ばれることもなく島内に残されてしまった石は「残念石」と呼ばれています。石垣が完成したために行き場を失った石たちのことで、その呼び名は築城にかけた大名や石工の気持ちを代弁しているようです。
 
 しかし、当時にしてみれば至極残念に違いありませんが、いま私たちがそれらの石に触れて感動できることは、至極うれしいことですよね。当然のことながら重機はなく、すべて手作業。荒々しい石肌に残る巨大な矢穴を見るだけで、現在の石工も血が騒ぐはずです。石の採掘・加工作業はいまも命がけの危険な仕事ですが、当時、小豆島ではきっと多くの石工たちが命を落とされたことでしょう。
 
 だけど、つくる。だけど、石に対峙する。一体なにがそうさせるのか。きっと、石工としての誇りだったに違いありません、時空を超えて大切なことを教えてくれます。

※『月刊石材』2016年2月号より転載