いしずえ

お墓や石に関するさまざまな注目情報を発信します。

実演! 秩父青石の薬研彫り!!  職人は仕事を残すしかない

2020.11.21

お墓・石塔

田河家石材で平成26年に建てた秩父青石の板碑(高さ約四尺)

 
 田河家石材有限会社(田中常一社長)は平成26(2014)年に、埼玉県産の秩父青石で板碑を建立した(埼玉県草加市内墓地)。同石を使った板碑は中世、関東を中心に数多く建立されたが、現代ではとても珍しいこと。「父親の50回忌に合わせて」という施主の希望によるもので、先祖代々の供養のためでもあった。

 「薬研彫りは見て覚えた。簡単にいえば、彫った断面が三角形になるわけだけど、角度は60度とされ、ビックリするほど深い。この60度がどこから来ているかわからないけど、石臼の目も360度を60度で区分けして6つで円をつくってある。『小松石のノミ切りは、60度だと穴が開きづらい』ということも聞いたことがあるから、60度というのは、何か意味があるのかもしれないね」

 『月刊石材』では2020年4月、田中社長にご協力いただき、「薬研彫り」の実演を企画。梵字の写し方や紙の貼り方なども教わった。
 田中社長は現在70歳(2020年4月)で、この業界に入ったのは17歳のとき。「学校嫌い、先生嫌いだったから(笑)」といい、中学校卒業後は、一年間で卒業する建築関係の専門学校へ行き、その後は県内の石材店で修業をしたが、「当時は石屋の仕事が忙しい時代で、すぐに呼び戻された」という。

書物等からコピーした梵字(種子)を鉛筆でなぞり書きする。
文字の拡大・縮小は、実際のバランスとは異なるので注意が必要。紙は和紙を使用

なぞり書きした紙を石に貼る。
接着剤は「やまとのり」を湯煎し、薄めたもの使用。和紙との相性もよく、
「薄い紙だと細いところも剥がれにくいので、彫りやすい」と田中社長

 田中社長が文字を彫るようになったのは、二十代前半。突きノミを使った仕事は、それ以前からしていた家紋彫刻で覚えた。昭和30年代、サンドブラストやエアー工具が登場すると、突きノミは使わなくなったといい、今回はエアー工具による薬研彫りの仕上げを、秩父青石の端材を使って実演いただいた。

田河家石材の工場で「キリーク」の種子を仕上げる田中社長

三角定規を当てながら、60度を確認する


 「薬研彫りはまっすぐに彫るから楽といえば楽だよね。字を彫っていく順番は『書き順』とよくいうけど、石の目によっては書き順で納まらない場合もあるから、私も心のなかではそうしています(笑)。たとえば仙台石(粘板岩)は目が強いから、横画を先に彫って後から縦画を彫る。順番が逆だと、石がめくれてしまうからね。細いところを後から彫るのはたいへんだから、『細いところから彫る』というのも間違いではなく、書き順ばかりが定義ではないでしょう」

 田中社長は「職人は仕事を残すしかない」という。その想いを次に紹介したい。

 

職人は仕事を残すしかない
田河家石材有限会社(埼玉県越谷市) 社長 田中常一

 職人は金儲けがへたくそなんですよ。食べるものには不自由しないけど、お金を残すことができない。逆にいうと、「お金を残すのは職人ではない」と俺は感じているけどね。自分ができないだけかもしれないけどね(笑)。
 商売上手はお金を残すけどね。経営者であれば、当然のことではあるけど。だから我々職人は、仕事を残すしかないんですよ。
 道具焼きの手伝いは、小学3、4年生の頃から。前日の夜に、「明日は手伝え」といわれて、ふいご吹きをさせられたのを憶えていますね。朝の薄暗い時間に起こされて、1時間半くらいやったのかな。朝ご飯は普通に食べられました(笑)。
 中学生になると、授業後にそのまま現場へ手伝いに行ったことも何度もあったね。その場合は、作業着を学校へ持っていって(笑)。
 当時の仕事は石塀だとか、お墓の建て込みはもちろん、ただ外柵はまだなかったね。モルタル詰めや目地詰めなど。門柱の仕事も多かったね。だから、お得意さんの家には、中学生時代にはほとんど行っていたよね。

田中社長が「いたずらでつくった」という根府川石の板碑(同社にて)


 仕事は見て覚える時代。どこで勉強ということはなく、いろいろ見て、いたずらしただけ(笑)。昔は時間に余裕があったからね。残業やっても平気だったけど、いまはできないから、いたずらできないよね。昔は仕事が早上がりすると、いたずらしていたけど、そのようなこともなくなったし。時代が変わったよね。
 これまでの人生で、石屋の職人としての仕事は、半分もしていないでしょう。いろいろな仕事を見てはいるけど、手掛けたのはほんの一部だと思う。
 磨きの仕事も手伝ったね。鉄砂をひいて。砥石で磨くことは、そんなにはやらなかったけど、荒落としは随分と手伝ったね。
 昔は、「1ヵ月に一本つくるのが精一杯」といっていたかな。すべて手加工だから、「そんなに早くできたかなあ」と思うけど、裏面など見えないところは、よい意味で手抜きもあったからね。またいまみたいに、ピシッとした寸法ではなく、石はできるだけ残して、不要なところだけ落とすわけだから、手間は省けたのだろうけどね。
 道具はやっぱり使わないとダメだよね。スポーツ選手と同じで練習が大事で、数をこなすこと。努力の結果は必ず出るから。馬鹿らしいことをやっているかもしれないけれど、それが仕事だから。

実演後の石は「道具の跡を見る見本にできるから」と脚を付けた。
「青石は軟らかいけど、三角定規を当てながら60度でしっかり彫ると、
(実演の)7寸5分のキリークで1日ちょっとはかかるかな」と田中社長


 機械化が進み、どんどん楽な方へ進んでしまうから、仕事を覚えなくなるわけだよね。だから、「技能伝承」といっても難しい。文明の利器がよいのか悪いのかわからないけど、言葉と世のなかの動きが合っていないんだよね。
 いま電気がなかったら、石屋さんは成り立たないのでは。「うちではできるけど、現場ではできない」とか、現場で何か困ったときに、そこで何とかしようという発想はなく、道具を使いこなすこともできないから、普段どおりの仕事しかできない。
 石工技能のこれからは、若い世代のやる気次第でしょう。我々の世代の考え方とはかけ離れているので。我々の時代は、隠れて道具をいじったものだけど、いまの人は隠れて遊びにいってしまうから。いたずらする暇はないからね(笑)。
 このままでは、石工技能が残るのは加工屋さんだけになってしまうよね。施工にしても同じ。街の石屋さんはどんどん下請けに出しているから、現場の技能もなくなっている。現場でバールを使えず、道具を踏んでいる人もいっぱい見ますよね。

墓石等に社名を残すことは普段しないが、
今回は施主の希望で「石工 田河家石材 刻」と裏面に彫った

 

 枕コロ、道板などを用意するのはたいへんだけれど、石を手で運び、据えるのは最高にいいですよ(笑)。そういう意味では、我々世代は「怖いもの知らず」かもしれない。どんな石でも動かせる。 
 石屋であれば、石の仕事はなんでもできないとダメでしょう。人のことをいえる立場ではないけどね(笑)。

田中社長(右)と長男の幸作さん

田河家石材の店舗。裏に工場がある

◎田河家石材有限会社
埼玉県越谷市蒲生愛宕町11-11
TEL048-986-4955

 

※『月刊石材』2020年5月号より