いしずえ

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須田郡司~聖なる石への旅「榛名神社の聖石」(群馬県高崎市)

2020.11.12

その他

写真1


 私の故郷、群馬県に巨石信仰を感じさせる聖なる場所があります。それは高崎市にある榛名山山麓の榛名神社です(写真1、榛名神社本殿。文化3年に建てられた権現造。建物は朱と黒を基調として要所に金箔や多彩な色彩が施され、脇障子の「竹林の七賢人」や司馬温公の図など数多くの彫刻で飾られ、天井には天井画が描かれている)。

 榛名神社は、赤城山・妙義山と共に上毛三山の1つとされる榛名山の神を祀る神社です。主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神を祀っています。榛名山は、日本古来の山岳信仰である修験道の行場で、榛名神社はその拠点だったのです。

 榛名神社は、「巖山」とも呼ばれる15万平方メートルの広い境内地を持ち、多くの奇岩・巨石が林立しています。

 山門を潜り沢沿いの小道を歩いて行くと、右手上に鞍掛岩と呼ばれる岩が見えます(写真2)。榛名神社にある奇岩の1つで、本来は洞穴状だったものが奥の岩が落ちて橋のように残りました。さらに上って行くと三重塔が現れます(写真3)。これは元来仏教施設でしたが、神仏分離で破壊を免れた貴重な塔です。神社とお寺が混在していた頃の名残を留める群馬県内唯一の塔だといいます。明治2(1869)年の再建で、現在は神宝殿と呼んでいます。

写真2

写真3


 御水屋まで上ると瓶子(みすず)の滝が見えます(写真4)。やがて、社務所、そして双龍門が見えます。双龍門は、龍の彫刻や水墨画が描かれていることから双龍門と呼ばれています。その左の岩は鉾岩です。辺りはすっかり深山霊谷の趣に変わり、奇岩・怪石が周りを囲んでいます。ようやく上り切った処に榛名神社本殿が大きな岩に食い込むように建てられています(写真5)。

写真4

写真5


 御姿岩(みすがたいわ)は本殿の後方に聳えていて、巨岩の洞窟内に本殿の内陣が造られ、ご祭神が祭祀されています(写真6)。榛名神社の信仰は、この巨石信仰から始まったものと思われます。御姿岩に立てられた御幣は、4月30日の御嶽祭神事で毎年取り替えられています。

写真6


 神仏習合の頃、榛名神社のご祭神である満行権現の本地仏が地蔵菩薩であり、岩の形が地蔵菩薩が立った姿に似ていることから地蔵岩と呼ばれていました。

 境内の案内板によると「当社は第三十一代用明天皇丙午元年(千三百余年前)の創祀で、延喜式内社です。徳川時代末期に至る迄神仏習合の時代が続き、満行宮榛名寺などと称えて、上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが、明治初年神仏分離の改革によって榛名神社として独立しました。社殿は寛政四年の改築(百七十余年前)御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている」とあります。

 榛名神社の境内には、九折岩といわれる奇岩があります(写真7、8。高さ約40メートル)。神社から榛名山へ向かう榛名川沿いの自然歩道を20分ほど歩くと、どこか天に向かって伸びる巨大な生き物のような岩が見えます。岩が積み重なっているような様子をつづら折りに見立てたのが、その名の起こりです。

写真7

写真8


 また、近年、榛名湖畔への車道沿いに奇岩が見つかりました。この岩に注連縄が巻かれて、男根岩と命名されたのです(写真9)。

写真9


 千数百年を越える榛名山の歴史のなかで、神道・仏教・修験道、神仏習合・神仏離合など、時代の変遷によって祀られる神は大きく変わりました。

 この御姿岩は、明治以前は地蔵岩と呼ばれていました。名称は変わったとしても、その根源である巨石信仰は変わらないのです。これは、石の聖地がより普遍的な存在であるからだと思います。

 

※『月刊石材』2014年9月号より転載

 

◎All photos: (c) Gunji Suda

◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。

◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone