いしずえ

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須田郡司~聖なる石への旅「ゴトビキ岩と神倉神社〜熊野権現降臨の靈石」(和歌山県新宮市)

2020.11.12

その他

 写真1


 神倉山のゴトビキ岩(写真1)と出会った時のことは、今でも鮮明にお思い起こすことができる。小さな太鼓橋を渡ると正面に猿田彦大神を祀る社が鎮座。左に歩くと赤い鳥居が現れ、その先は急な石段が山頂へと続いていた。鳥居を潜ると、石段を上る人影が見えた。小さな子供たちが、四つん這いになって必死に石段を上っているではないか(写真2)。私は気合いを入れて一気に駆け上がった。やがて、石段は緩やかになり(写真3)、しばらく歩くと巨岩と社が現れた。眼下の遠くに熊野灘が広がっていた(写真4)。

写真2

写真3

写真4


 今から20年以上も前になるが、ゴトビキ岩との出会いは、私を巨石・磐座・石神などを巡る石巡礼へと駆り立てる大きなきっかけを与えてくれた。

 神倉神社は熊野速玉大社の摂社で、標高120メートルの神倉山に鎮座している。538段の急勾配の石段は、源頼朝が寄進したと伝わる鎌倉積み。石段を上りきり、程なく歩くと岩盤に大きな巨石が現れる。高さ約10メートルの大岩がゴトビキ岩で、地元の方言でヒキガエルのことを意味する。ゴトビキ岩に近づくと、岩と岩の間に注連縄が付けられ、中に白い玉砂利が敷かれていた。古代の祭祀場である(写真5、6、7)。

写真5 神倉神社とゴトビキ岩と修験者

写真6 注連縄が付けられたゴトビキ岩の斎場
その空間はホト(女陰)となる空間だ

写真7 斎場には白い玉石が敷き詰められている

 巨岩に寄り添うように神倉神社はある。この岩の周辺から平安時代の経筒が発掘された。また、銅鐸片や滑石製模造品なども出土していることから、神社の起源は磐座信仰と考えられている。創建年代は128年頃といわれる古い社で、御祭神は天照大神とその子孫の高倉下命。

 2002年2月6日、私はゴトビキ岩の前で行われる「御燈祭り」に参加した。この祭りは熊野の火祭りとして古代から続く秘祭。祭り当日、神倉神社の境内周辺は女人禁制となる。祭りに参加できるのは男子のみ。「上り子」と呼ばれる男たちは白装束に荒縄を巻き、子供からお年寄りまでの男子が松明を持ち、上り子三社参り(阿須賀神社・速玉大社・妙心寺を巡拝)を行なう。

 夜7時近くなると、神倉神社の境内に人々は集結する。その数は、2,000人は超えていた。ゴトビキ岩の前は、あふれんばかりの上り子たち。しだいに酒を浴びた男たちの場所取りの喧嘩がはじまり、辺りは殺気だつ。下の社から大きな松明で火が運び込まれると、各々の松明にリレーするかのように点火される。暗闇の中、松明の灯りが一人増えまた一人増えるごとに、その灯りでゴトビキ岩の姿がうっすらと浮かび上がってくる。

 何とも幽玄で幻想的な石の世界がそこに出現した。まるでタイムスリップして、古代を生きているような不思議な感覚になった。その光景を見ながら、こんな光景を写真に撮れたらとも思った。神事中は、もちろんカメラの持ち込みは許されない。私は、しっかと目に焼き付けた。

 2,000人の上り子すべての松明に火が灯ると、境内は飽和状態になった。カオスのような時がどのくらい流れたのだろう。やがて、出口が開け放たれ、人々は火と一体になって神倉山を一気に駆け降りて行く。

 この御燈祭りの光景を「生命誕生の営み」と表現する人もいる。遠くから眺めると、2,000人の上り子が持つ松明の灯り1つひとつが精子で、神倉山の登山口にある鳥居がいわば卵子にあたるというのだ。

 私は、松明を持って神倉山をゆっくり下山した。太鼓橋を渡ると、狭い沿道の両側には女たちが並び、上り子たちを暖かいまなざしで迎えている。上り子は、一人ひとりがまるでヒーローになったような達成感を味わい、我が家へと帰って行く。燃え残った松明は各々の家に持ち帰り祀るのだ。これは、熊野独特の神迎えを意味するという。

 ゴトビキ岩は、熊野権現が最初に降臨されたと伝わる霊石で、まさに熊野信仰の元になっている磐座だ。この磐座の前で「御燈祭り」という神聖な神事が千数百年前から続いているということは、ある意味、日本の奇跡の一つではないだろうか。 

写真8 ゴトビキ岩を支える大きな岩盤は、袈裟岩と呼ばれる。
確かに岩の筋を見ると袈裟のようにも見える

真9 赤い木柵で囲まれた神倉神社の境内。
「御燈祭り」の時、ここに2,000人もの上り子がひしめく

写真10 新宮の町中から見たゴトビキ岩。
町から神倉山を見上げると、岩盤の上に立つ陽石(男根の形の石)に見える

 

※『月刊石材』2015年3月号より転載

 


◎All photos: (c) Gunji Suda

◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。

◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone