いしずえ

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須田郡司~聖なる石への旅「野柳地質公園の奇岩と聖地〜台湾石巡礼・その1」(台湾)

2020.11.12

その他

写真1


 2015年2月、約30年ぶりに台湾を訪ねることができた。台北から基隆に入り、東海岸を南下して高雄に至る9日間の旅は、実に魅力的だった。そこで、台湾石巡礼で出会った聖なる石を2回に分けて紹介致します。

 中華民国・台湾の首都、台北の近くに、奇岩怪石の景観で知られる野柳地質公園がある(写真1)。野柳地質公園は、台湾のジオパークに認定されている。ジオパーク(英=geopark)とは、地球科学的に見て重要な自然の遺産を含む、自然に親しむための公園のことをいう。

 台北から基隆まで電車で移動、そこからバスで数十分ほどすると野柳地質公園入口のバス停に到着。小雨降る中、公園がある海岸方面に歩いて行くと、野柳國民小学校が見えてきた。面白いことに、校舎に大きな奇岩のレリーフが描かれていた(写真2)。

写真2


 そこから、しばらく歩くと野柳地質公園の入口が現れた。周囲には、ビジターセンター、お土産物店、レストランなどが見える。チケットを購入し、ゲートを越えるとバリアフリーの遊歩道になっていた。ここでは、車椅子やベビーカーをレンタルすることもできる。野柳地質公園は公園入口から細い岬の先端まで約1.7キロもの距離が続いている。また、岬の幅はもっとも広い部分で300メートルほど(写真3)。

写真3


 野柳地質公園の特徴的な地形は、「キノコ岩」とも言われる蕈(きのこ)状石が野柳の中でもっとも多く目を引く。この奇岩は、一千万年におよぶ地殻運動、波や風の浸食などにより、柔らかい地層は浸食されてへこみ、硬い岩は突き出て残って形成されたもので、あちらこちらで見ることが出来る。キノコのような形状は、この岩の上の部分がカルシウムを含む硬い砂岩層、下の部分が柔らかい地層だったことから、異なった侵食が起きて形成されたと考えられている(写真4、5)。

写真4


 野柳地質公園を代表する造形美として、あまりにも有名なのが「女王頭(クイーンズヘッド)」「クレオパトラの横顔」などと呼ばれている岩だ(写真5)。女王の奇岩に近づくと、人々は行列になって並んでいた(写真6)。さすが人気のスポットだ。観光客の多くは世界一優美な岩、女王様にご対面し、一緒に記念写真を撮ることを目的に並んでいるのである(写真7)。この女王頭は、あまりに人気が高くなり、マナー違反の観光客も増えた結果、そばに警備員が立つようになったという。警備員の方は、ご苦労にも人々からカメラを託され、記念写真のシャッターを押し続けていた。

写真5

写真6

写真7


 奇岩地形のゾーンが終わり、小高い山へと上って行くと、岩と岩の隙間に小さな小道が見えてきた。私は、まるで岩に吸い込まれるようにその隙間に入って行った(写真8)。すると、山の上にはいくつかの巨石があり、その前に小さな祠が建てられていた(写真9)。祠に近づき中を覗くと、何体もの神像が所狭しと並んでいる(写真10)。一体、何のために神像が祀られていたのか、と想像した。

写真8

写真9

写真10


 案内板によれば、この「漂流の神像」は、かつて信仰されていた神像が、信者に見捨てられ海に流されたものが、海流や風雨によって野柳に漂着したもの。神像を見つけた地元の人が神々や伝統的な信仰を尊重して、このような祠を作って安置したという。

 面白いことに、祠は割れた巨岩の下に作られ、祠の正面から海を望むことができた(写真11)。

写真11

 
 小さな祠に祀られた数体の神像の表情をしばし見つめていると、どこか寂しげだった。かつて大切に信仰されていたものが、流され、救われたのである。

 神像たちは、海の彼方のふるさとを懐かしんでいるかのように……。

写真12 割れた岩は、まるでホト(女陰)的な空間を感じる

 

※『月刊石材』2015年4月号より転載

 


◎All photos: (c) Gunji Suda

◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。

◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone