いしずえ

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須田郡司~聖なる石への旅「クジラ島祭り~稲佐の浜の岩礁を発掘」(島根県出雲市大社町)

2020.11.12

その他

写真1


 2015年4月26日、国譲り神話で知られる稲佐の浜(弁天島前)で、砂に埋もれてしまった岩礁「鯨島」を掘り起こすイベント「クジラ島祭り」をおこなった。地元の老若男女約50人もの人達が稲佐の浜に集まり、一緒になって鯨島を掘ることができた(写真1)。

 出雲市大社町に移住して半年ほど経った頃、稲佐の浜の弁天島の近くに鯨島という岩礁があったが、今は砂浜に埋まったらしい、との話を友人から聞いた。近年、大社漁港の建設や大規模な河川工事などの影響で砂が上がり、鯨島は完全に砂に埋まってしまったという(写真2、今から100年以上前の明治時代に撮影された弁天島と鯨島。鯨の形に似ている)。

写真2


 鯨島のことを色々と調べながら、実際に掘り出すことができないものかと考えた。

 そんな折、地元に住む近所の友人は、幼い頃、鯨島で遊んだことがあるようで、一緒に掘ろうということになった。

 稲佐の浜の砂の中に埋まっている岩礁を実際に掘り出すことは問題ないのか、許可がいるかどうかを調べることにした。はじめに大社警察署、次に漁協関係者に聞いてみた。最後は、砂浜を管理している島根県農林水産部。それぞれ聞いてみると、重機などの大型機械を使わず、掘った後は同じように埋め戻すのであれば、特に許可はいらないとの答えだった。

 そして、我々は「クジラ島の記憶を未来につなげる会」(代表、須田郡司)という任意団体を作り、4月26日にクジラ島祭りをおこなうことに決めた。当日は、自由参加の無料イベントで、参加する方は14時に弁天島前に集合し、発掘作業を開始することにした。

 イベントチラシを作り、いろいろな場所に配布すると何社かの新聞社が記事で紹介してくれた。今回のイベントは、できるだけ幅広い年齢層の参加者をイメージした。地元の年配の方は、実際に鯨島のことを知っているので、懐かしさを味わってほしい。逆に、鯨島のことを知らない若者や子供たちには、はじめて見る鯨島の存在にワクワクしてもらいたいと思った。

 実際に鯨島がどこにあるかを確認するため、事前に調査掘りをすることにした。友人が持っている30年ほど前の稲佐の浜周辺の地図をみると弁天島の近くに鯨島らしき岩礁があり、この地図をたよりに調査掘りをおこなった。

 イベントの2週間ほど前、私は友人と共に地図で岩礁の位置を予想し、スコップで砂掘りを始める。約2時間近くで、縦5メートル、横5メートルくらいのスペースを深さ1メートルほど掘り進めた。すると突然、お巡りさんがやってきて、我々は職務質問を受けることに。どうも、弁天島の近くで砂を掘る我々は、かなり怪しまれたようで、地元の方が警察に通報したのだった。我々は、事前に大社警察署にクジラ島発掘のことを伝えて、特に許可がなくても発掘自体に問題は無いと言われていたので、こと無きを得た。

 その日は結局、鯨島の場所は確認できなかった(写真3、150㎝ほど掘ると海水が湧いてきた)。2回目も残念ながら分からなかった(写真4、看板を付けておこなった)。

写真3

写真4


 そこで大社コミュニティセンターの方に相談すると、稲佐の浜で昔から民宿を経営している椿家さんのご主人に聞けばわかるのでは、と教えてくれた。さっそく椿家さんに連絡をして、後日、ご主人に鯨島の大体の場所をご教示いただいた。

 そして3度目の調査掘りで、ようやく鯨島と思われる場所を確認することができた。それは、イベント本番当日の3日前のことだった。

 「クジラ島祭り」の当日、出雲地方は快晴で、稲佐の浜には参加者が集まってきた。我々は、クジラ島祭りの趣旨と諸注意を伝え、発掘を開始。当初、10人くらいで始めたが、やがて大人と子供を入れて50人ほどに増え、発掘作業は順調に進んだ。小さな子供たちは、鯨島の真ん中あたりを掘り、大人たちはその周りを掘っていった(写真5)。15分ほど経つと、スコップが岩に当たり、やがて岩礁が見えてきた。鯨島の岩ではないかと、みんなは興奮し、大人も子供も一生懸命掘ってゆく。その光景は、実に清々しい。

写真5


 30分ほどしてから、途中休憩を入れた。しかし、大人の何人かは、興奮のあまり掘り続けていた。1時間後、鯨島の背の部分がある程度姿を現す(写真6)。

写真6


 発掘作業は1時間という短時間で終了し、太鼓などの打楽器を持った友人たちが鯨島の周りに集まり、音を出してくれる。何とも、贅沢な一時。子供たちから大人まで鯨島の岩礁の上を歩いていた(写真7)。久しぶりに太陽を浴びた鯨島は、何を感じていたのだろう。その後、参加者と鯨島の記念写真を撮らせてもらう(写真7)。

写真7

写真8


 それからほどなくして太鼓のリズムに合わせ、鯨島の埋め戻し作業が始まった。埋め戻すのは早くて、30分も経たない間に元の砂浜の姿になった(写真9)。

写真10


 クジラ島祭りは、約50人もの多くの方々が集まってくれた。今回、子供やお年寄りの方々に喜んでいただけたことが何よりだった。クジラ島祭りは、今後も続けて行きたいと思う。

写真11 発掘作業休憩中に撮った赤い鯨島と弁天島

 

※『月刊石材』2015年6月号より転載

 


◎All photos: (c) Gunji Suda

◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。

◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone