いしずえ
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須田郡司~聖なる石への旅「断崖絶壁に作られた奇跡のお堂〜三徳山の投入堂」(鳥取県東伯郡三朝町)
写真1
新緑の樹々が生える修験の道は険しい。
時には木の根をつかみ、時には鎖をつかみ、這うように上がって行く。いくつものお堂を巡り、30分以上登っただろうか。体から吹き出す心地よい汗をぬぐい、見上げると、崖にへばりついた木造のお堂が見えてきた。よくもまあ、こんな所に作ったものだ。ここは、日本一危ない国宝鑑賞で知られる投入堂(写真1)だ。
2015年5月末、三徳山三佛寺の国宝、投入堂を登拝する。早朝、駐車場に車を停め、お寺へ向かって道路を歩いていると山側の大きな岩が目に飛び込んできた(写真2)。まるで、御神体のような存在感がある。坂道を少し登ると納経所の前に中年のご夫婦と年配の男性の3人が待っている。
写真2
朝8時、受付の人がやってきて言うには、投入堂へお参りするには2人以上でないと行けないとのこと。投入堂までの登山道は険しく、何度か滑落事故があったため、このような対処になったようだ。そこで、一人旅の年配男性に同行をお願いすると、彼も願ったり叶ったりである。
我々は参拝志納金を納め、境内の輪光院・正善院・皆成院をそれぞれ巡拝した。やがて本堂裏にある投入堂参拝受付へ(写真3)。受付の人が我々の靴の裏をチェックするが、問題は無かった。入山料を納め、入山手続きとして名前と住所と登山時間を記入し、受付の人から御守りであり修行者の証である六根清浄の輪袈裟を授かり登山を開始した。
写真3
本堂の裏の宿入橋を渡ると、岩場の修験の道が待っていた(写真4)。小さなお堂、役行者像をお参りしながら登って行く(写真5)。年配の男性は名古屋から来ていると言う。前方で、中年のご夫婦が悠々と登って行く。
写真4
写真5
山道は次第に険しくなる。かずら坂の木の根道は、土が剥がれ、根そのものが露出していてどこか痛々しい(写真6)。しばらくすると、岩場の上に作られた文殊堂(写真7)、地蔵堂(写真8)などが現れる。こんな山中に、これだけ大きな建造物を作るには、信仰心無くしてはできないだろう。鐘楼では、登山者一人ひとりが鐘を叩いて行く。それにしても、この大きな釣鐘をここまでどうやって担ぎ上げたのか不思議だ(写真9)。
写真6
写真7
写真8
写真9
鳥取県三朝町にある三徳山(標高約900メートル)の投入堂は、かつて、修験道の霊場として栄えた場所だ。三徳山三佛寺は、慶雲3年(706年)の始まりとされ、縁起によれば、修験道の開祖と言われる役行者が、3枚の蓮の花びらを「神仏のゆかりのあるところへ落としてください」と空へ投げると、1枚は伊予の国(現在の愛媛県)の石鎚山へ、1枚は大和の国(現在の奈良県)の吉野山へ、残る1枚が伯耆の国(現在の鳥取県)の三徳山へ舞いおり、それらの山を修験道の行場として開いたとされる。
役行者は、三徳山のふもとでお堂を作り、法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、大きな掛け声とともに断崖絶壁にある岩窟に投げ入れたと言われている。このことから「投入堂」と呼ばれるようになった。
三徳山・三朝温泉は、平成27年度の日本遺産第1号に認定された。「日本遺産」とは、国内外、特に海外からの観光客を誘致促進するため、文化財をツールに、ストーリーでつながるエリアやポイントを「日本遺産」として文化庁が認定するもので、そのタイトルが「六根清浄と六感治癒の地~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉~」である。
いまは山中にある三佛寺が、天台宗三徳山法流修験道の本寺になっている。国宝や重要文化財に指定された数々のお堂があり、1000年を超えた天台密教の繁栄を偲ばせる。断崖絶壁のお堂で、修験者たちは、どんな景色を眺め、どんな思いを抱いたのだろうか。それを想像するだけで、心が清々しくなった。
写真10 三佛寺観音堂。
岩屋の中に作られたお堂で、江戸時代前期の建立
※『月刊石材』2015年7月号より転載
◎All photos: (c) Gunji Suda
◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。
◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone