いしずえ

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須田郡司~聖なる石への旅「オランダ最大のドルメンHunebed〜石と遊ぶ人々」(オランダ、ボルゲル)

2020.11.12

その他

 写真1

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 オランダのボルゲルを自転車で走っていると樹々の隙間から光がこぼれ、やさしい風が吹いていた(写真1、2)。雨は降ったり止んだり。森の中、草原の中、巨木に寄り添うドルメンをみながら、祭祀、儀式、天体観測などの記憶を感じつつ、「ここに妖精や小人が住んでいてもおかしくない……」、そう思いながら走っていた。

 世界石巡礼の途上、オランダ北東にあるボルゲルを訪ねた。ここには、オランダ最大のドルメンがあることで知られている。

 ドイツから電車とバスを乗り継いでボルゲルの町へ到着し、昼食にカフェに入ると年配の紳士から英語で話しかけられた。彼は、私が日本人とわかると、日本の歴史に歌舞伎や相撲のことまでも話してくれ、かなりの親日家のようだった。思えば、日本とオランダの歴史的な付き合いは長い。江戸時代から明治維新直前の幕末まで続いた鎖国環境のもとでも、ヨーロッパではオランダとだけは長崎を拠点に外交貿易関係を持ち、実に400年の歴史があるのだ。

 ボルゲル滞在の宿を決めてから、自転車を借りて散策に出かけた。町中から郊外を走ると景観の美しさに驚く。自動車道、自転車道、歩道の3つに道が棲み分けされていた。町中の民家から農家に至るまで、実に美しい佇まい。まるでお洒落なペンションかと思われる家があちらこちらに点在していた。

 お昼過ぎ、自転車でHunebed=ドルメンへ向かった。ドルメンとは、巨石記念物の一種で、ケルト語のdol(机)、men(石)に由来する語で、原始社会で造られた巨石墳墓をいう。数個または多数の巨大な支柱石の上に巨大な板状の一枚岩を載せたもので、石室内に死体を埋葬し、上部架構が地上に露出しているものをいう。また、ケルト人はドルメンを利用して祭祀を行なったとも考えられている(写真3、4)。

写真3

写真4


 このHunebed=ドルメンは、オランダ最大のドルメンといわれ、今から約5000年ほど前の先史時代に造られたものだ。ドルメンに近づくと、驚くことに何人かの家族連れがいてドルメンの上に上ったり、石の中にはいったりしていて遊んでいた(写真5、6)。「何て自由なんだろう、日本では考えられない」と思った。ヨーロッパには、ドルメンをはじめ、ストーンサークルやメンヒルなどがあるため、身近な存在なのだろう。

写真5

写真6


 そういえば、入口の看板が印象的だった。三つの石の影が、夫婦と子供を象徴的に描いていたからだ(写真7、8)。ドルメンと家族――家族連れがドルメンに上って楽しんでいたことに納得した。

写真7

写真8 写真7の一部を拡大


 ドルメンの近くに、資料館とレストランが併設されたHunebed情報センターがあった(写真9)。中に入ると、ドルメンなど先史時代の遺跡の資料が展示してあった。また書籍からお土産品まで豊富な種類の品々が並んでいた。その後、併設されたカフェレストランに行くと、多くの人々が集まっていた。

写真9


  飲みものと軽食を注文すると、あるランチョンマットに飲みものが乗っていた。そのランチョンマットには、巨石の写真と地図が印刷されていて、しばし釘付けになった(写真10)。ここボルゲルには、いくつものドルメンが点在していて、その紹介の地図がランチョンマットになっていたのだ。オランダ語の会話はわからないが、家族連れの人々は、その巨石マップを見ながら、「次はここに行こう」などと、会話をしているような気がした。

写真10


 ドルメンは子供達に人気で、そこから離れる気配は無かった。そこで、夕方に出直すことにした。日が沈みかけたドルメンには、人一人いなかった。やがて、夕日を浴びたドルメンが幻想的な雰囲気を醸し出した。東西に並ぶドルメンのほぼ西側に太陽が沈もうとしていた(写真11)。今から約5000年前の人々は、あきらかに方位を考えてこの巨石記念物を配置したに違いない。

写真11

 

※『月刊石材』2015年12月号より転載

 


◎All photos: (c) Gunji Suda

◎ 須田 郡司プロフィール
1962年、群馬県生まれ。島根県出雲市在住。巨石ハンター・フォトグラファー。日本国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。「石の語りべ」として全国を廻り、その魅力を伝えている。写真集『日本の巨石~イワクラの世界』(星雲社)、『日本石巡礼』、『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社)など。

◎須田郡司ツイッター
https://twitter.com/voiceofstone