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石臼づくりの里~曲谷集落(滋賀県米原市)。中世の面影を残す“石工の村”

2021.05.18

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 滋賀県米原市にある曲谷(まがたに)集落は、「石臼づくりの里」として知られています。「曲谷臼」として、1978年発刊の三輪茂雄著『臼』(法政大学出版)にも紹介され、石臼づくりは現在、行なわれていませんが、同集落では石臼をさまざまな場所で見ることができます。






 米原市教育委員会歴史文化財保護課・主幹の髙橋順之さんは、次のように話します。

 「石臼は江戸中期から明治時代ぐらいまで、集中的につくられました。集落北東部には『曲谷石』と呼ばれる花崗岩地帯が広がっており、おそらく近世だと思いますが、石を採掘した場所が山中に何ヵ所もあります」

 伝説によると、曲谷石工の歴史は平安末期までさかのぼることができます。信州から来た木曽義仲の家臣である覚 明(のちに西仏坊と名乗る)が曲谷で加工に適した花崗岩を見つけ、故郷から石工を連れてきて石臼づくりを教えたという伝説です(「西仏坊」伝説)。

 「ただ集落の遺物を見ると、曲谷での石材加工はおそらく鎌倉末期から始まり、その頃は転石を使っていたと思われます。ですから、曲谷は中世の面影を残す“石工の村”でもあります」

 曲谷集落内にある白山神社には、鎌倉末期の作と推定される板碑や、南北朝期の作と推定される宝篋印塔の笠や基礎なども残されています。近世の石造物のなかには、石工の名とともに「曲谷村」の刻銘もあり、曲谷石工は引き続き、石臼以外もつくっていました。


 
 「天下普請で城をつくるときには、曲谷など近江の石工も呼び出されて、たとえば大阪城や名古屋城などへ行って、技術を交流していたのではないかと思っています。近江八幡の文書には、曲谷の石工が日光東照宮の仕事に出向いたと残っています。穴太衆とは別の集団だとは思いますが、岐阜の方へ行って、治水工事などの石積みもやっています。ただ残念なことに、集落には石屋さんがもういません。30年くらい前までは一軒だけありましたが、石臼のつくり方も伝承が途絶えてしまいました」



岐阜県関ヶ原町に残る曲谷石工がつくった
九里半街道の常夜灯(上)と妙応寺の手水鉢

 
 米原市伊吹山文化資料館では、約200点の石工道具と加工途中の石臼を展示している。また2020年2月には、それらの道具を調査した報告書も発行されました(植田絃正『曲谷の石工道具』滋賀県立大学・米原市伊吹山文化資料館)。石工の活躍をしっかりと伝承していきたいですね。


※『月刊石材』2021年2月号より転載