いしずえ

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新素材研究所「丹波黒豆の老舗 小田垣商店 本店〔石庭・豆道〕」

2021.06.18

建築・造園・石垣


新素材研究所・小田垣商店本店


丹波黒豆の老舗

小田垣商店 本店
〔石庭・豆道〕

兵庫県丹波篠山市

新素材研究所 / 杉本博司+榊田倫之


享保19年(1734)創業の丹波黒豆卸の老舗・小田垣商店本店の建築群(江戸時代後期から大正時代初期までの10棟、国の登録有形文化財)の改修工事の設計を手がける新素材研究所。前号(「月刊石材」2021年5月号)では〔建築編〕を紹介しましたが、今回(同6月号)は再整備された庭「石庭・豆道」を、作庭者である現代美術作家・杉本博司氏のご寄稿により紹介します。


小田垣の庭
杉本博司

庭も建築も、設計はすべて無から有を生み出す気概を持って臨む。まずは素材だ。庭の場合には白紙に一石を投じる。その一石は想像上の石ではなく、到来してくる石だ。その点、私は即物主義者だ。手元にないものは使えないのだ。庭に使うような石はカタログにはない、自分自身で石を引き寄せる力が必要とされる。

今回の場合では縄文時代中期の石棒が見つかった。考古学では男根崇拝の象徴ではないかとされているが、私は疑っている。しかし我が国の新石器時代、4,000年前とも5,000年前とも推定される時代に、人の手で時間と手間をかけて削り出されたその緩やかな曲線に私は魅入られた。その頃、時給の意識はなかっただろう。時間感覚も今とは全く違っていた。納期もなく思う存分気にいるまで仕事ができた、良い時代だった。それは石の姿を見れば判ることだ。私はこの石棒を景石として庭の最重要地点に据えることとした。白紙に石棒が投じられたのだ。


*トップ画像:「石庭・豆道」と小田垣商店本店の建築群(一部)

新素材研究所・小田垣商店本店縄文時代中期の石棒を中心に据えた環状列石


いつも不思議に思うのだが、石は石を呼ぶ。石棒が私のもとに到来した頃、今度は中国本土から別の種類の石棒が到来した。その姿は石棒に近いのだが、用途は石棒とはまるで異なっていた。急速に機械化が進む中国の農村で、つい近年まで使われていた農具だったのだ。農地をならすために使われたローラーで、おそらく牛に引かせていたものだ。様々な形状があり、便宜上ちくわぶ型、ギア型、石棒型、ガンベル型と呼んでいる。これらの石を眺めている時に私の脳裏に環状列石の姿が浮かんできた。秋田県鹿角市の大湯環状列石に近いイメージだ。環状列石は古代の日時計であったとも考えられている。

次の構成要素として形状の異なる二つの環状列石を貫いて長い延段を置くことにした。小田垣商店が黒豆の老舗であることに鑑みて、京都の鴨川上流で採れていた真黒石を延段の片身替わりとして敷いた。もちろん黒い石を黒豆に見立てたものだ。真黒石は採取できなくなって久しく、寺院などの古い庭が壊された時に出てくる古材を普段から集めておかなければならない。この延段が庭を左右にほぼ二分し、片や苔、片や白州に環状列石とし、小田垣の庭は自ずからその姿を現していった。


新素材研究所・小田垣商店本店長い延段と鴨川真黒石が庭を、縄文時代中期の石棒などによる環状列石を据えた白州と苔庭とに二分する


新素材研究所・小田垣商店本店新設したカフェ「小田垣豆堂」から庭を眺める

写真:森山雅智



*榊田倫之氏のインタビュー「小田垣商店本店改修工事の石の景色


・小田垣商店:https://www.odagaki.co.jp
・新素材研究所:https://shinsoken.jp



「月刊石材」2021年6月号より転載