特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか―石造物研究家 大石一久

2022.03.23


【安山岩製塔】

第二のグループとして、特に佐賀県下で集中的に確認される「安山岩製塔」が挙げられます。これは、その形態上の特徴から「佐賀型塔」とも呼ばれていますが、長崎県下での分布は、県本土部では島原半島と北高地区、さらに松浦市今福地区が入り、至徳二年(1385)の紀年銘を持つ「遠嶽(とおたけ)氏塔」(諫早市小長井町)や南有馬町(現・南島原市)の古薗(ふるぞの)石塔群などが見られます。また離島部では壱岐島(壱岐市)や福島、鷹(たか)島(いずれも松浦市)などが含まれます。

これらの地区では、ほぼすべての石塔類が佐賀型塔で占められており、緑色片岩製塔はほとんど確認されません。遅くとも南北朝時代から周囲の緑色片岩製塔文化とは異質な石造文化が展開されていたと考えられ、中世における生活文化の違いが想定されます。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久至徳二年(1385)銘の遠嶽氏塔(宝篋印塔、長崎県諫早市小長井町)

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久左:古薗の安山岩製宝篋印塔群(長崎県南島原市)
右:鎌倉時代後期作と見られる茸山宝篋印塔(南島原市)


ところで、石材としての安山岩は、多くは多良山系など佐賀県側の良質な安山岩が使用されていますが、島原半島では粒子が粗く脆(もろ)い雲仙山系のデイサイト(火成岩の一種)も使用されています。特に西有家町(現・南島原市)茸山(なばやま)の宝篋印塔はその形態から鎌倉時代後期(14世紀初頭)頃の製作と考えられ、雲仙山系の遺品としては非常に古い時代のものです。

ただ、雲仙山系のデイサイトはその脆い石質のために石塔の石材としてはあまり適しません。ですから、この茸山宝篋印塔以後はほとんど使用されておらず、16世紀後半になって現地製作の非常に粗雑な石塔が確認されるだけです。安山岩製塔としては、やはり良質の多良山系から佐賀県側のものが主流を占めており、雲仙山系のものは中世を通じてあまり使用されませんでした。

なお、鷹島で産出する阿翁石(あおういし、玄武岩)は、もしかしたら中世の14世紀頃まで石材としての利用が遡(さかのぼ)れるかもしれません。対馬や壱岐に、阿翁石製と思える14世紀代の石塔を確認しているのですが、まだ確定ができません。今後の調査で結論を出したいと思います。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久長崎県鷹島(松浦市)で産出する「阿翁石」でつくられた大村姓松浦家石塔群(長崎県大村市、本経寺)


【中央形式塔】
対馬や平戸島、さらに日島(ひのしま)に代表される五島列島など、国境をまたぐ島々で大量に確認される石塔類があります。それは「中央形式塔」と分類され、明らかに中央(畿内)の影響を受けていて、畿内やその周辺地域で製作されて運ばれてきた石塔です。主に14世紀後半から15世紀にかけてのもので、現在までに約450基分を確認しています。種目のほとんどは五輪塔と宝篋印塔で、その彫出技術は地元製作塔よりも高度で、見事な造りとなっています。

石材は主に安山岩質凝灰岩と花崗岩ですが、その大部分の石塔は若狭湾に面した福井県高浜町日引で産出した「日引石(ひびきいし)」(安山岩質凝灰岩)という石材で製作されており、1996年の調査で現地(日引)で製作されていることがわかりました。しかも日引石は、その後の調査で北は青森県十三湊(とさみなと)から南は鹿児島県坊津(ぼうのつ)まで、日本海沿いに大量に運ばれ建塔されていることもわかってきました。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久左:「日引石」(福井県高浜町、安山岩質凝灰岩)の正平二十二年(1367)銘の宝篋印塔(長崎県新上五島町日島釜崎)
右:花崗岩製の内院宝篋印塔(長崎県対馬市)


ただ、そのなかで一番多く建塔されているのは対馬や平戸、五島列島、さらには鷹島や的山大島(あづちおおしま、平戸市)など長崎県下の島々であり、その450基分という集中的建塔には目を見張るものがあります。県本土部で確認される同時期の石塔類は全体で約50基分ですので、その集中的建塔のすごさがおわかりでしょう。

このことは中世の日本海ルートがいかに活発であったかを示す一方、中世において対馬や平戸、五島列島など、国境をまたぐ島々が一時的なバブル経済の状態にあったことを物語っています。おそらく中国大陸から朝鮮半島に至る大海原を駆けめぐり、広大な海のネットワークを築き上げた海の民(倭寇=わこう)がその建塔に関わっていたように思われます。

いまから600年ほど前、遠路はるばる若狭湾から日本海ルートで運ばれてきた石塔群の前に立つと、時代の申し子たちのエネルギッシュな活動がしのばれます。まさにこれらの島々は、中世という一時代を駆け抜けた「海のヒーローに出会える島」といえるでしょう。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久左:日島の石塔群。日引石製も多い (長崎県新上五島町、本稿トップ画像と同じ海岸墓地)
右:日引石製内院五輪塔群(長崎県対馬市)

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久左:日引石製円通寺宝篋印塔群(長崎県対馬市)
右:日引石製の石塔群(長崎県平戸市安満岳)