特別企画

お墓や石について、さまざまな声をお届けします。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか―石造物研究家 大石一久

2022.03.23


先祖の霊を考えるとき、

石は切り離してはいけない存在

私の先祖のお墓は、平戸島にあります。50年ほど前に、祖父がカロート式のお墓に建て替えましたが、先祖のお墓は後方に並べ、享保十三年(1728)銘の旧来のお墓である宝珠付き笠塔婆も、その横に残しています。そして私は、何かに行き詰まったり、悩み事ができると、必ずお墓参りに行きます。先祖のなかでも、特に身近な祖父母や両親に会いに行き、相談事や悩み事を聞いてもらっているのです。

ただ、現在住んでいる大村市と故郷の平戸までは車で3時間ほどかかります。車の運転はまだ大丈夫な年齢なので常日頃からお墓参りはできますが、いつかは大村市内にお墓を設ける必要があります。現代社会において、お墓を移すのは仕方なく、また近年増えている墓じまいも、望まれる方にはさまざまな事情があることも理解しています。しかし、お墓を片付けることと、供養をやめることは違います。供養を伴わない墓じまいは、先祖が悲しむだけです。

これは個人的な思いですが、お墓は亡くなった人のためだけのものではありません。私にとってお墓は、先祖と自分とのつながりの象徴であり、悩みを解決し、相談に応えてくれるありがたいお堂なのです。もちろん、先祖を祀る場所ではありますが、単なる死者の場所ではない。残された家族、いまを生きる子孫にとって、とても大切な癒しの空間でもあるのです。

日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久大石家のお墓(長崎県平戸市上中津良町)


私自身、毎日のようにどこかの墓地で石塔の調査をしながら、お墓(墓石)離れを肌で感じ、強い危機感を抱いています。

きっと火葬の普及とともにカロート式の墓石に切り替わったことで、日本人の死生観は変わり、今日の状況もその延長線上にあるように思われますが、これがさらにこのまま進んでいくと、本当にどうなるのか。もう一度、日本人が古来より受け継いできた死生観をきちんと現代社会に問い直さなければ、日本人としての存亡にも関わってくるのではないか。そのくらいの危機感を、私は抱いているのです。

先祖の霊(祖霊)を考えるとき、そして自らの死後を考えるとき、日本人にとって石は決して切り離してはいけないものとして存在していました。石そのものが、先祖であり、また死後の自分自身の証であるという感覚を、DNAのなかに受け継いでいたのです。だからこそ、日本人は石にこだわってお墓をつくってきた。

ただ残念なことに、現代人にとって石は単なる無機物、いわば路傍(ろぼう)の石としか映らないのではないでしょうか。かつての日本人が持ちえた豊かな感性は、現代に近づくにつれ次第にしぼんできているように思われます。

最初にもお話ししたとおり、石は単なる無機質な素材ではありません。「素材」という枠を超え、霊性や深い精神性を有する有機物なのです。だから私たちは本来、石のあるところにいて、石を見て、石を感じると、心が落ち着きます。それが石の魅力であり、お墓を石でつくる根本であるはずです。

コロナの影響もあり、お墓を取り巻く環境はまたさらに変化するのではないかと感じています。都市部と地方との結びつきを視野に入れた提案も検討すべきでしょう。しかし、いつか必ず戻るはずです。いまは目の前の経済的な問題や家族の問題などでお墓の必要性が希薄化していますが、そのうち気づくはずです。一時的なものでは意味をなさないことに。

そのためにも、私たち自身が石の持つ深遠な世界を改めて確認し、それを社会に伝え続けていかなければならないと、私は考えます。



写真提供:大石一久氏
出典:「月刊石材」2022年1月号

聞き手:「月刊石材」編集部 安田 寛



日本人はなぜ、お墓を石でつくってきたのか 大石一久

大石一久(おおいしかずひさ)
1952年、平戸市生まれ
山口大学文理学部東洋史学科卒。長崎県立高校教諭、長崎県文化振興課、長崎歴史文化博物館・研究グループリーダー、大浦天主堂キリシタン博物館・研究部長を歴任。中世石塔を専門とするが、近年はキリシタン墓碑の全国的な調査を行ない『日本キリシタン墓碑総覧』(南島原市)を編集執筆。現在、(株)オリエントアイエヌジー顧問、地域文化調査研究センター理事
〈主な著書〉
『日本キリシタン墓碑総覧』(南島原市教育委員会、長崎文献社)/『石が語る中世の社会』(ろうきんブックレット)/『千々石ミゲルの墓石発見』(長崎文献社)/『天正遣欧使節千々石ミゲル―鬼子と呼ばれた男』(長崎文献社)/「中世の石造美術」(『平戸市史』〔民俗編〕平戸市史編さん委員会)/「佐世保の中世・石造美術」(佐世保市史編さん委員会『佐世保市史』)/『嬉野町の中世・石造美術』(佐賀県嬉野町教育委員会)/「石塔類から見た中世・対馬の様相」(『中世の対馬―ヒト・モノ・文化の描き出す日朝交流史』勉誠出版)/「石造物からみた中世・大村の様相と仏教文化」(大村市史編さん委員会『新編大村市史』)/「中世石造物から見た西肥前」(『石が語る西海の歴史』アルファベータブックス)/編著『天地始まりの聖地―長崎外海の潜伏・かくれキリシタン』(批評社)/編著『戦国河内キリシタンの世界』(批評社)/編著『石が語る西海の歴史』(アルファベータブックス)など多数